カテゴリ:モンタナまん
ロッキーマウンテンカレッジ。。。今思うと物凄い名前の大学に留学をしていた自分に
気が付いてしまった。。。卒業してから20年してからの事となる。ロッキー山脈大学 日本語に直訳するとそういう名前になる事とこの町の田舎さに改めてカルチャーショックを 実感してしまった。。。よく今まで、そして現在もこの町に住んでいるなと自分で自分を 関心してしまいましたよ。。。本気で。。。とにかく、今回はロッキー山脈大学で留学を していた頃の話をしてみたいと思う。 1980年後半から日本人留学生がロッキーに留学生として受け入れられた訳なんだけども その時代の留学生、アメリカの学生達は多くが「問題児」であったのだ。。。オイラも含めて。。 多くの日本人は日本の大学に入ることが出来なかった、「落ちこぼれ組」。。。とにかく せめてアメリカの「大学」に入学をして世の中から遅れをとらないように。。。みたいな。。。 オイラは高校を卒業した後にテンプル大学というアメリカの大学の日本学校に通ってから モンタナに島流しされてしまったんだよね。。。自分で島流しの刑。 結局日本でアメリカ英語をちゃんと習得すること、習慣、文化を学ぶことは 不可能なことだったんだよ。。。まだインターネットも無かった時代だし「情報」が 自由に入手出来なかったしね。。。「アメリカってこういう所なんだ。。ふーん。。。」とも 解らなかったし、アメリカと言えばロスかニューヨーク、ハワイが アメリカの代名詞だったし。。。華やかな一面しか知ることが出来なかった。後は映画で 少しだけ解る程度。だけどもロッキーに来て「本当のアメリカの深さ、人種差別の痛み、 学業を学ぶということの大切さ、コミュニケーションの大切さ、自分の主張の仕方、 忍耐の大切さ」を切実に身に染みるほど学んだ。。。楽しさ、自由の裏には孤独であったり、 理不尽、雁字搦めの不自由さや悲しみが潜んでいた。。。 落ちこぼれのオイラが英語で大学の授業について行くのは小学生が大学に行くのと同じくらい 大変だった。。。しかも医学の勉強なんて。。。なんで医学を?と疑問に思われる人が 多いだろうがそれには理由があったんだよね。。。実は。。。オイラの弟がその当時17歳で オートバイで右足を切断する事故をしたんだよ。。その時に、たどたどしい英語でドイツ の会社の人と話をしてドイツ製の義足の存在を知り、その時世界初の義足を弟に 提供してもらうことに成功して、オイラが出来ることを考えた末、結論として医学の最先端の アメリカで医学を学び、少しでも将来の手助けが出来ると思い、勢いで「医学」を 専攻してしまったのだ。。。無謀すぎた。。。日本で勉強嫌いがアメリカで医学を学ぼうなんて 考えが甘かった。。。だけど後の祭り。。。入学がアメリカの大学は日本より簡単で 卒業が大変。勉強をしなければ卒業は夢のまた夢。とんでもない事をしてしまったと後悔したよ。 とにかく、そうとは理解していても、最初の2年はアメリカに馴染む為にとにかくアメリカ人との 交流に全精力をつぎ込んだ。。。勉強はそれなりにしていたが、英語を身につけることが一番大事 と解り、アメリカ人と口喧嘩で負けないくらいに自分を鍛えることに専念したのだ。 これが思った以上に大変だったんだよね。。。普通の日本人の英語のレベルがアメリカ人の 幼稚園児程度だと考えてくれると解り易いと思う。帰国子女の英語力がアメリカ人の中学生レベル 位。それを大学生、社会人を相手にするのには気が狂うほどの英語漬けの生活に突入しなければ ならなかったのです。。。ある意味地獄を見ないといけないくらいの生活が始まったのです。。。 そして、地獄はちゃんとオイラのことを待っていたのです。。。。 次回はその地獄の生活を紹介致します。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.06.06 10:16:12
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