カテゴリ:モンタナまん
昨日は福島県は伊達市にいる知り合いと合流した。原発についてお話しを聞くことが出来た。知人の名前をTさんとします。Tさん曰く、放射能の被害については誰も本当の事は解らず一人の学者は安全と言い、一人の学者は危険だから直ぐに避難すべきと主張していて、政府の意見は誰も信じていないのが現状だそうです😅
他の地元の人は仮設施設に住んでいる人達を非難もしていました。 補助金が毎月10万円出て、一生懸命働かなくても多少の贅沢も出来ているそうです。 確かに被害に会われて住む所を追われた人達も悲しい想いをしたと思いますが、 今日、この日に家族を事故などで無くした人、病気で無くした人達も日本の中に いるはずです😅火事で家を無くした人も いるでしょう。 その人達も悲しいはずですが補助金は出ていないはずです。昨日はテレビで仮設に住んでいる人達が鰻を美味しそうに食べていた映像を見ました。オイラは食べることは出来ませんでしたけど😅 これは一体どうゆうことなのでしょうか?家を無くした人、働けない人が可哀想で鰻を食べて、家を無くさず、一日中朝から夜まで働いた人が鰻を食べる事が 出来ないのは可哀想ではないのでしょうか?別に鰻の事はどうでもいい事だけどね☺ 福島に来て改めて違う角度から原発による被害を受けた人達とそうでない人達を 比べたら世の中の理不尽さを考えさせられました。 いわきナンバーを運転していた人達の タイヤがナイフで切り裂かれて意地悪を されたり、福島から地方に避難した子供たちが放射能汚染されたといじめられたり、福島の女性が結婚するのが難しくなったり、負の連鎖も沢山有るようです。 これ等の事は可哀想だけどしょうがないで見過ごす事しか出来ないのでしょうかね? それも社会であり、現実は話し合いや 偽善行為では世の中は良くは成らない と言うのが答えなのでしょうか? オイラのように普通の人が普通の目線で メッセージを世の中に伝えたくても、 誰も聞く耳を持ってくれない。偉くならないとやはり人はミミを傾けない。 この論理はどんなにもがいても変わらないのかな?やはり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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