カテゴリ:モンタナまん
オイラが人、他人の話、忠告を聞くことが大事な事だと100%理解をしている前提でオイラの主張を聞いて欲しい。
周りの意見に合わせ、協調性を大事にする横並びの教育を受けて自分自身を押し殺す優しさに美徳を求め生きてきた。 そんな自分が自由な国、個人を尊重しても許される、受け入れられる社会で生きるときに日本人目線を捨てきれずこだわって生きてきた自分。違う国でも自分のスタイルをなるべく変えずに生きてきたつもりだ。だから基本的な性格は変わってはいないけどさ。 だから[あいつ、昔と変わったな...]と言われるより、[あいつ、全然、相変わらず変わってないな...昔のままだな...]と言われる方が圧倒的に自分は素直で正直に嬉しいし、自分に対しての考えに後悔はない。 ナニナニしておけば、あの人の忠告を聞いておけば、結婚が出来たんじゃないか、離婚をしなくても良かったんじゃないかと後悔もしたくないし、する気もサラサラない! いずれにしても自分で決めた行動が結果的には結婚や離婚と言う結果に結び付いたけどさ、相手の事をほんの短い時間であっても愛情を持って接した事は自分の中では真実で事実として残り、それを事実として受けとめるしかないもんね。どんなにもがき、苦しんだとしても。 その結果、今では最愛である3人の娘達にも出会える事が出来て、その事に関しては幸せに心の底から感じている。フラフラ、ヨタヨタ、不安定でなんの保証もなく、計画もいい加減で他人から見れば危なっかしい人生だけどそんな状態でも親になれ、そして自分の両親が自分に対しての愛情がどれ程のものだったかも理解できて尊敬と感謝の気持ちが身についた。 だから後悔はない。 もし、オイラが周りの意見を尊重し過ぎて、気をつかい、優しすぎて、自分の気持ちを無視してまでも生きてきたならば娘達の存在はなく、別の子供を今のように愛し、幸せにも感じているのであろう。 ただ、1つだけハッキリ言えることは、現在、現実的に金銭的に経済的に豊かでは決してないが自分の人生に、そして幸福感に後悔はない。 だってそこを後悔したら人生の90%は後悔と考えられる人生を送って来たオイラの存在や性格、生き方、全てを否定する事になるから。 所詮、人間なんて繰り返し過ちを犯して、ナカナカ治せずもがき苦しみながら生きて行く生き物だと考えているし、治せる人、治せない人がいるのを受け入れて理解するしかないよ。 気持ちを切り替えて、新しい人生を見つけるのも1つの選択であり生き方でもあり、それが正しい答えでもあり、時には間違っていた答えにもなるだろう。 だけどその答えを見つける為の決断、決心、決意、自分の気持ちに嘘、偽りを貫く生き方の後悔だけは絶対にしたくない! 頭で考える倫理観も大切だけどさ、集団生活においてはね。いつも自分の素直で正直な気持ちと意見を他人に投げ掛ける事が100%正しいわけではない。取り方によっては自分勝手や空気読めないと判断されてしまうだろう。 だけどね、どんなに手を焼く子供や恋人、奧さん、家族、友達、仕事の同僚であっても好きなものは好きで、嫌いなものは嫌いといった感情や考えはあるべきだし、それを否定するつもりは全くない。 ただ、あの時、これをやっておくべきだった、伝えておくべきだった、謝っておくべきだった、叱っておくべきだった、愛しておくべきだった、感謝しておくべきだった、思いやっておくべきだったと後悔はしたくない、するつもりもない。 矛盾から言えない、出来ない事はたくさんあるしね。時には恥ずかしさから後悔も生まれるしさ。あんな馬鹿な発言をしなければと言う後悔もするだろう。 なにをするにしても自分の事は自分で決めた方が圧倒的に良い。人のせいにする生き方だけは御免だ。 だからもう一度言うよ。 トコトン自分を信じて、後悔せずに、むしろ失敗を後悔するのではなくて、逆に有り難く思う気持ちを持ち続け失敗を恐れず後悔の少ない人生を送りたい。 今の日本の社会の風潮では1度の失敗が命取りとなり復帰、復活が難しくなってしまうように感じるので、言いたいこと、やりたいことがどうしても表現が難しくなってチャレンジすら、しにくいじゃないですか⁉ だから結果として後悔しない人生を送るためには自分の気持ちに素直に忠実に生きていければ幸せに感じるのでは無いかな? 自分自身が死ぬ間際に後悔しないように、精一杯一日を生きていきたい。明日のため、死んだときに笑えるようにね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.07.01 03:57:29
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