カテゴリ:政治、思想関連
オイラ達、みんな、努力が大切な事は十分わかっているつもりだよね。あの超有名な発明家であるトーマスエジソンの有名な言葉、「天才とは1%の閃き(ひらめき)と99%の努力である」。この言葉からの疑問は努力をしていれば大きな成果が得られるのか?そうとは限らないじゃん。ここで注目するべき事は何なのか?たぶんそれは努力をするのは必要だけど、それが必ずしも「正しい努力」をしているかどうか。その事に今日、気が付いたんだ。遅かったけどさ。そして自分の過去10年を振り返ってみると最近の3年間を除くと7年ほど不毛な努力をして悩み、落ち込み、もがいて、挫折を味わっていた事がハッキリしたんだ。だけどね、この過去3年間は「正しい努力」に気づいて努力に励んでいるんだよ。エジソンの名言を深く考えてみるとエジソンがまるで努力をして閃きを手に入れた人間だったかのように解釈をしていたけど、実は彼の言葉の真意とは真逆の意味だったんだと痛感しているのよ。
彼が言いたかった意味とは1%の良い(素晴らしくなくてよい)閃きが無ければ99%いくら努力をしても、その努力とエネルギーは無駄になる。そう言う事だったんだと思う。空回りする努力ほど意味の無い事は無い。だけどその不毛な努力をした結果に気づき、正しい努力を選べば不毛な努力でさえも意味のある事になるから「無駄な経験は一つも無い」ことに繋がるんじゃないかな。そしてそこから全てに感謝する事が出来るしね。良い事も悪い事も、全てに対して。 四方八方、可能な限り自分の気持ちを満足させる為に手を尽くし何かを掴み取ろうとしてきた自分。もうこれ以上やる事を考えられないと感じていた頃、一つだけやってなかった事を見つけたんだ。それは素の自分をさらけだし、その姿、思想、生活を限りなくオープンにして、なるべく多くの人達の気持ちが満たされることをしていなかったことに気が付いた。つまり、自分を満たすには他の他人の気持ちを満たす事に役立てば良い。惨めでカッコ悪い自分を晒し者にすることが好きなのだ。変態ドMだと自覚したんだね....そこで閃いたのが「ブログを書き、この素の自分のモンタナでの不自由な生活、感情、考え、行動を紹介する事」。そしてブログを読んだ読者が自分たちの生活環境がいかにモンタナマンより満たされていて幸せなのかを知ることにより少しでも優越感、または安心感を感じてもらいたかったんだ。上には上が要るけど下には下がいる。だから悩んでいたり卑屈になっていたならばオイラを見下してでも、馬鹿にしてでも、みんなが気持ちが満たされれば良いと思って書き始めたんだ。日本に住んでいると ほぼ欲しいものは手に入る。普通の幸せってやつ。それを感じてくれたら有り難いなというわけ。 だから文章が下手くそで物を書く事があまり好きでもないオイラが3年間書き続けていることがオイラにとって「正しい努力」になるのなら、いつか思いが通じてオイラを含めた皆の将来の希望に繋がれば良い、それがモンタナマンの為の発明になればと信じて書き続けているんだ。(ワルいね、ツマラナクテ。上達するよに努力します。) 失敗を恐れたり、出来ない理由を並べて言い訳を言う生き方はウンザリだ。失敗は成功の元。シクジリから学べばシクジリも立派な経験のひとつだ。今後、どうなるかは解からないけどさ、オイラは真実へと歩み続けるよ。そこに有る答えを求める為に...(尾崎豊は最高だった) みんなだったらエジソンの言葉をどの様にとらえてどの様にいかしていく?どう考えるのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.02 05:14:00
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