カテゴリ:政治、思想関連
今日はオイラがブログを書き始めてちょうど3年の月日が流れたんだわ。うつ病になり就職を完全に諦め個人で依頼される仕事だけをこなしてきた。この3年間、不安定で、これといった希望もなく社会からの脱落者というレッテルを自分に貼り生きてきたんだけど、何故か楽しい3年間だったんだ。毎日が違うの!気分もその日の出来事も、会う人達も、話す内容も。驚くような良い事が毎日あるわけじゃないんだけど、毎日「今日はどんな1日になるんだろう?」いつもハラハラ、ドキドキで、ジェットコースターに3年間、乗り続けた気分。疲れや飽きる事を通り過ぎたオイラが得たものは「心の余裕と自信」かな...ある意味心も体も鍛えられた感じだね。打たれ強くなった。心の痛みや体の痛みが快感に...最強のMになったようだ!
今までこんな波乱万丈な生き方、生活をしたことがなかったから「生きていく上で必要な生き方」「心の持ち方」「考え方」を全て改めた自分を造ってみたのよ。簡単に言うと、「飾らない、かっこつけない、等身大の生き方」そして、人から見ると「社会人にもなれない最低な生き方」を経験した結果、少なくとも素直に笑える自分に辿り着いたんだ。作り笑い、愛想笑いではなく、心の底から湧き出てくる「素直な笑い」を感じることができたの。人の目を気にせず、自分が楽しい、可笑しいと感じたことを素直に表に出せる喜びを体験しちゃったんだよ。大人になると、この感覚を隠さないと社会には適合できないじゃない?良くも悪くも「性格的にゼンゼン変わっていない自分」がいるんだ。30年前に会った人に「君は全く変わっていない、嬉しい事だし、スゴイ事だよ!」と言われた意味がようやく理解できた。「上手に変わる」これも大切かもしれないけど「全く変わらない」を継続することも大切なんだね。オイラの場合、変わったのは体形くらいだけどさ。自由に生きる辛さ、困難、幸せをこの3年間で体と心に刻み込んだのには間違いはなかった。3年あればうつ病、ひきこもりからも脱することができたし。(本気で取り組めば)それだけはハッキリと言える。それでは本題に入ろう。日本人にとって数字の「3」は縁起の良い数字とされている。これは平安時代から陰陽道の中でも伝えられている。宗教的にもことわざにも用いられているんだって。 3年ネタロウ、石の上にも3年、3度の飯よりも、最低職歴3年要、3度目の正直、2度ある事は3度ある、3年目の浮気、3人集まれば文殊の知恵、、3枚目の男、3従士、魚の3枚おろし、ダンゴ3兄弟、仏の顔も3度まで、3つ子の魂百まで、早起きは3文の得、三位1体、3種の神器、万歳3唱、3原則、3人娘、「前厄、本厄、後厄」(3回)探せばまだまだ考えられるよね。 それではナゼ「3」にこだわるのか?その意味は?それを少しだけ考えてみたいと思う。 「過去、現在、未来」、「点、線、立体」これらにも「3」が関係をしている。よくよく考えみると、この3つの関係は変えようがない、事実じゃないか!これに基づいて生き物全ての命が操られている事が解かる。 それ故に「3」は調和を意味する数字と呼ばれで縁起がよい数と信じられている。そして「3」は語呂的に、「満つ」や「充つ」に通じることから幸運を呼ぶおめでたい数らしい。三越、三井、三菱は「3」をつけたことから大きく成長したとも言われているとか。。。アメリカでは「7」が幸運を呼ぶ数字。 何故か?キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の考えで世界は7日間で誕生したという思想があるからだそうだ。 そして「7」は宇宙、我々の世界をとりまく、物の成り立ちを表す数字でもある。1週間が7日だったり、虹が7色、音階が7(ドレミファソラシド)。だけどラッキー7は少し違っていて、1885年のアメリカ大リーグでの優勝がかかった試合で7回(裏か表かは知らない)に平凡なフライを打ち上げた選手の打球がホームランになったという奇跡的なことになり、その時の勝利したチームの投手がインタビューで「ラッキーセブンス」と表現したことが始まりと言われているんだって。 結論から言うと、数字から生まれる意味や影響はわからないし、解かろうとするほうが間違っているんだろう。 ワハハ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.02 03:51:05
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