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2005年01月06日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
18世紀のロンドンではコーヒー・ハウスが盛んになり、そこにサロンやクラブが起こった。

同時期の江戸には「連」があった。

ということで第721夜『江戸の想像力』田中優子です。

◆ぼくは美術学校の学生だった頃、学校のロビーに貼ってあった平賀源内展のポスターをべりっと剥がして、つまり盗んで自分の下宿に持ち込んで、しばらくベッドの横に貼っていたことがある。その平賀源内展は結局見なかったのだけれど、なぜかどうしてもそのポスターが欲しかった。
ベッドの横に貼っておきたかった。

◆あのときの直感はまさしくこれ。
『江戸の想像力』のことだ。

◆この本の前半はいま“ある”錦絵、落語、本草学、蘭学などがどのような経過で、どのようなエネルギーの爛熟によって“なった”かが書かれている。
そのすべてには平賀源内が絡んでいる。

◆後半は江戸の語りや文学について。
いま“ある”『雨月物語』『春雨物語』がどのような経過で中国、中国文学の影響を受け、日本の古代の再発見に“なった”かが書かれている。
こちらは西の上田秋成。

◆ここに貫くのは
「連」の方法、並列的な列挙、軽やかな「愚」のスタンスなど“近世の方法”。

◆例えば落語などは明治に入ると寄席の出現によってすっかり出来上がってしまう。
つまらなくなってしまう。
このつまらなさは美術学校のロビーに似ている。

◆平賀源内は借金返済のために次々とベンチャーを起す。個人的な名声欲のため、
大坂文化対抗のためベンチャーな企画を起す。
そこでおもわぬ副作用(?)。
それが鈴木春信の東錦絵だったり。
「解体新書」だったり。

◆ハッとしたのは、当時代の人々の知というものはじつは「歴史の語り口の中に痕跡を残さない」知であり、今日の進歩の結果としてつながるような知とは別だということ。
云わば「忘れられた知」があるということ。
この捨て子のような知の魅力をあの源内のポスターに感じたのだ。

◆『学問は心がまえによって変わるものではなく、システムによって変わるものであった。であるから、必要なことは書斎でひとり頭をかかえることではなく、連において行動することであった。「馬鹿狐ならず、必ず隣有り」-源内は学問もまた、この精神で実行していたに違いない。』(『江戸の想像力』)

ここだ。
連において行動すること。


★『場所を見るとかトポスをみるとかは、たった3日いたベネチアでマルセル・プルーストがあれだけの物語を書けるという事もあるので、あるいはフィリップ・ソレルスという人がニューヨークに一週間いただけでアメリカ論を、ニューヨーク論をこんなにすごく書けるのかっていうものもあって、僕はどちらかというと場所を訪れる時というのはそういう風にしか見ていないんですね。だからあんまり旅をしないんです。昨日見たのは、3丁目劇場とペパーランドと出石小学校の3つですけど、それをものすごく掘り下げてみれば岡山にはなると思って見てたけどね。』

(松岡正剛インタビュー『かけがえのない「遊図」』 by島津師範代)

◆松岡正剛はこの3つを掘り下げれば岡山というトポスが見えると云った。
3つのエピソードの「貼り合わせ」列挙で場所を現す方法。
これもある意味“近世の方法”か。






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最終更新日  2005年01月07日 03時53分01秒
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