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で、『江戸の想像力』田中優子の続きです。
◆ここに書かれている「連の生み出したもの」で関心をもったものはやはり東錦絵の鈴木春信。 鈴木春信は源内が企画する年始恒例行事「大小絵暦交換会」でのスター絵師。 ◆交換される“絵暦”とは、いわゆるご挨拶用カレンダー。 これにはインテリアとしての美しさはもちろん、様々な趣向が要求されていた。 隠し文字、漢詩、言葉遊びや見立てなど。 ◆カレンダーの出来はすぐに競いや批評の対象になった。 そこにまた連のダイナミズムがあり、その代表的リーダーが俳諧師でもある、謎の人物「巨川」(きょせん)。 春信画はこの「巨川」の工房から生まれた。 ◆一点の版画制作のためにはたくさんの技術者が連になった。 製作者(パトロン)、彫工、摺工、紙漉き職人。馬連職人など。 ◆木版画に、複数の色版がズレないように刷るための「見当」という技法がある。 これを発明したのが大田南畝や滝沢馬琴だったというところが超ソソル。 「見当」という方法が、同時に東錦絵の性質になっていると感じるのだ。 ◆そしてココ。 おもわずマーキング。 交換会で話題になったのは芸術論なんかじゃなかったというところ。 『「大小絵暦交換会」は、理念のみの交換会ではないし、芸術を言葉で語ったり論じたりする会ではないので、常に技術上の問題や新案を含めての情報交換や試行が行われていた。その中から、日本ではじめてのカラー版画ー東錦絵ーの発明がなされたのだった。』 ◆文化や芸術がメンタルなものから生まれるとおもいすぎてはイケナイ。 ここにはマテリアルな事情、メディアのハード的な事情が深く関わっているのだ。 ◎ということで、これがお粗末な今年のぼくの年始の挨拶状です。 本年もどうかよろしゅうってこってす。 (エディション50の限定版) 心配無用! 御代無料! 在庫仰山! 希望者は申しでるべし候 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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