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■モーレツ・アタロー
を啓蒙してくれ~! ここ2、3日熱があったので解熱剤を飲んで寝ておりました。 で、ちょっとまだ脳髄トロロ状態なのです。 ですからやや散漫です。 ■最初、原作の『フランケンシュタイン』を読まずに別の案で版を彫り始める。 読み進むうちにこれが全然違うことに気がついてすぐさまボツ。 ■ベッドのなかでこの『フランケンシュタイン』をはじめて読む。 超感動。 ■ナゼか蓮の花。 泥のなかに咲くこの一輪が怪物の佇まいなのだ。 また怪物の目には泥中の蓮もきっとこんな感じに映るのだ。 こいつもまたツギハギだらけの“できそこない” ■物語にハマった。 物語のなかで怪物はみるみる知識を習得していき、感情の新領域を発見していく。 これは人間の歴史の早送りか。 これは『情報の歴史』のイッキ読みか。 ★『そんな深々とした問題を痩身の“夢見る少女”メアリーが綴りきったということ、それを物語というシステムにあてはめえたということに驚かされる』 物語とはそういうものなのか。 パウル・クレーの『創造的告白』のなかに絵の生成過程を物語化したものがある。 こんな感じ。 『死点を越えるのが、最初の行為(線)だとしよう。しばらくして一息つくために休憩する(中断線、ないし何度かの休憩で節のできた線)。どれほど遠くまできたか、ふりかえってみよう(逆の動き)。心の中で、進む方向をあれこれ考えてみよう(線の束)。川に遮られて、我々はボートを使わねばならない(波の動き)。もっと上流には橋がかかっていたかもしれない。(アーチの例)。向こう側で我々はひとりの同志に出会う。彼もまたもっと偉大な認識を見つけようとしている。最初は嬉しくて意気投合する(収斂)が、次第に違いが明らかになってゆく(二本の線の自立性)。双方による、一種の感情の昂ぶり(線の表情、線のダイナミズム、線の塊)。我々は耕された田畑を横切り(線で区切られた平面)、深い森を抜ける。彼は道に迷って捜し求め、うろつく犬がよくやるような動きを時折見せる。私の方ももはや冷静ではいられない。別の川のあたりに霧がかかっている(空間的要素)。まもなく霧ははれる。籠職人たちが車で家に帰る(車輪)。軽やかな巻き毛の子供が一緒だ(螺旋の動き)。やがて蒸し暑くなり、夜がやってくる(空間的要素)。地平線には稲妻(ジグザグ線)。しかし頭上にはまだ星が見える(ちりばめた点)。そのうち最初の宿に着く。眠り込む前にいくつかの記憶が蘇るだろう。なぜならこうした旅は、非常に印象的だから』 ★『その空想がもたらすファンタジーが人間の本質を予告するものでなければならなかったからである』 ★『人間が人間の世界から追放されるとは何かということなのである』 美術の世界には“アウトサイダー・アート”というフシギなネーミングのカテゴリーがある。これはある種ハンディキャップをもった人々が創り出すユニークな作品のことを総じて呼んでいるかとおもわれる。フランスでは別名“アール・ブリュー”(生の芸術)と呼ばれていたりする。ここにはあたかも人間の本質が露呈しているかのよう。 ぼくはアウトサイドにいなくてもアウトサイダー・アートのような“生”を感じられるもの目指したい。 編集という“人間改造”でもって。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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