|
カテゴリ:カテゴリ未分類
そして、永遠の模型少年タルホ
第879夜『一千一秒物語』稲垣足穂です。 ★『ここでおこるルールは口元であっというまに移ろっていく。だから自分以外の人間はまったく出てこない。すべては天体と関与して、かつどんなことも一瞬のうちに起承転結になる』 ■今日の愛知東邦高校と山形羽黒高校の試合。 5回オモテで東邦のエース木下の投げた一球のフォーク。 あのちょっとだけ深く指にくい込んでしまったボールが試合のすべてだったかもしれない。 ワイルドピッチしたボールに天体が関与していたかもしれない。 ■ところでここにある稲垣足穂のポートレートは昔から気になっていた。 この咥え煙草で颯爽と歩いているようなタルホに合成写真のような背景。 これをなぜだか今夜は写したい なるべく恣意なく トレペを使わずに 左手にこの写真を置き 右手に刀と版木を置き コウベを左右に振りながら 単純に ちょっとアニミズムな気分で アートなんかでなく ■土門拳が『死ぬここと生きること』のなかで写真のリアリティの問題を 『写真家の写真家としてのもっとも正しい任務は、モチーフをどう解釈するかという主観的な、観念的な操作でなしに、モチーフのリアリティをど如何に写真のリアリティに置き換えるかという技術的、機械的な操作でなければならない。つまり非常に技術的な職人的な操作が問題である』 と書いていた。さらに 『例えば、唇の赤さが唇の赤さとして出るためには、富士のパンクロ乾板でF22で一秒が適正露出の場合、十秒かけた場合は逆に弱い灰色の赤さを感じさせるし、同じ絞、同じ露出でも、さくらパンクロ乾板なりオリエンタル・ハイパーパン乾板を使えば、またちがった効果として表れる。つまり、ぬれぬれと赤い唇の色一つにしても、その唇の赤さの表現ということは全く技術的な機械的な条件に転化されなければ不可能なのである』 と書いていた。 こんな客観的至上命令の転化で ぼくも彫りたい。 ■“ポートレートという方法” その人物の外見を“一図に多様”にモケイしてみる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|