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先週の日曜日、愛知県美術館で『自然をめぐる千年の旅《山水から風景へ》』という展覧会を見てまいりました。
これは愛知万博の公式行事のひとつでメインテーマは「自然の叡智」です。 展示作品は奈良時代の《過去現在因果経》から近代の横山大観《生々流転》までと広範囲なものでなかなかの圧巻展覧会でした。 千年を超える長い歴史の中で、日本人が何を創造し何を大切に遺してきたのか、約160件の作品で高速で見れる。 これはイイぞ。 この展覧会の構成部立てはこんな感じ 第一章 『聖なる自然』 第二章 『理想の風景』 第三章 『季節の中で』 第四章 『動植物へのまなざし』 第五章 『実在の場所ー名所絵から風景画へ』 テーマ分けされた部屋は時代に関係なくランダムに展示されてました。 第二章の部屋では周文→狩野正信→雪村→池大雅→玉堂→鉄斎→大観 が一同に展示されていて個人的に嬉しかった。とりわけ大雅の「蘭亭曲水図屏風」に酔った。 えがった。 ただ、この部屋の展示を“理想の風景”の一言で片付けるのは乱暴に感じるが、これは『山水思想』(五月書房)を読んでしまったむしろぼくがわるいのだ。 そこでリンクしたのは千夜千冊・第488夜『イラストレーション』ヒリス・ミラー。 ★『芸術や文化は、それがもっている時間と、変遷と、変容とともに語られるべきなのである』 この展示を見ながら感じていたのは、この五つのテーマと作品は現代の感覚から選ばれたもので、作品の生まれた場がまったく勘定に入っていないということ。作品主義でテキスト主義。 でもこれは愛知万博の公式行事のひとつであるからいかにも万博的ということでOKか。 ★『画家のアトリエの絵と額縁に入った絵と美術館の壁面に貼りついた絵と、それがどのメディアで印刷されていたかということとは、実は連続して語られるべきなものである』 だから春信や池大雅の作品は現代の文脈だけで見ていてはわからないのだ。その周囲にあった「連」なものを切り離しては大事なものが見えてこないのだ。 ましてやそれが創りたいというのなら、まずは「連」なものに関わっていくことが絶対不可欠か。大雅の「蘭亭曲水図屏風」を見るのではなく実践するということが必要なのか。 じつはそんな未詳な倶楽部がすでに存在している。 そんなことはこの展示のキュレーターたちには知るすべもない。 フフフ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月08日 14時31分59秒
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