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なんだか
岡倉天心の盛り付けした 日本美術や中国美術の傑作を フルコースで食べたい気分なので 今夜は本棚から『岡倉天心とボストン美術館』(名古屋ボストン美術館で開かれた展覧会のカタログ)を取り出してきて ファミレスっぽくフルコース。 狩野芳崖、橋本雅邦、木村立嶽、横山大観、下村観山、菱田春草… 二品目からはズラッと仏像群。 観音菩薩立像、快慶の弥勒菩薩立像… これがなんとも五臓六腑にしみる。 で、第75夜『茶の本』岡倉天心。 『美術鑑賞に必要な同情ある心の交通は、互譲の精神によらなければならない。美術家は通信を伝える道を心得ていなければならないように、鑑賞者は通信を受ける適当な態度を養わなければならない。』(『茶の本』第5章「芸術鑑賞」) ●“鑑賞術”なるものがあるのではないか。“創る”以前に。 『名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に嘆かわしいことである。』 『同情ある人に対しては、傑作が生きた実在となり、僚友関係のよしみでこれに引きつけられるここちがする。名人は不朽である。というのは、その愛もその憂いも、幾度も繰り返してわれわれの心に生き残って行くから。われわれの心に訴えるものは、技量というより、精神であり、技術というよりも人物である。』 (『茶の本』第5章「芸術鑑賞」) ●その“人物”とその“気分”研究を教えてくれたのは千夜千冊だ。 『名人はいつでもごちそうの用意があるが、われわれはただみずから味わう力がないために飢えている。』。 (『茶の本』第5章「芸術鑑賞」) ●じつにハラペコ。 紙幅ノ夜ニ号モラヒ 胸中ニ星満点 ●この同志の合宿のような一夜は、満腹でありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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