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ポランニーに民族も政治も心理も超えた「真の創造性とは何か」というテーマを与えたものは、科学研究の現場(とりわけソ連の)とハンガリーという二重帝国の複雑な事情。
われわれに「真の創造性とは何か」というテーマを与え、編集知の作用を気づかせたものは海国“日本”の曖昧な事情。 かもしれない。 第581夜『開国』伊部英男。 ここでの「開国」とは『日本史を通じて一貫しておこってきた』開国のこと。 海に囲まれていながら航海術も造船術も発達させず、ろくな海防論をもたず専守防衛の発想しかもっていない。 法制度も専守防衛的で「判例法」や「慣習法」を重視する行き当たりばったりなもの。 そもそも「国家」という観念は明治政府になって急造された。 そんなことだから軍部による「国家のなかの国家」ともいうべき状況までうまれる。 『歴史をふりかえってみればわかるように、このような天皇を戴く立憲君主制は安政の開国を決定したときの方針にはまったく入っていなかったヴィジョンなのである。まず開国を余儀なくされ、尊王攘夷か公武合体かを争い、そのうち大政奉還と王政復古になだれこんだだけなのだ。いったい日本にとって「国」とは何だったのだろうか。国家とはどうあるべきだったのか。』(第581夜) ●『日本は「開国」に苦労しつづけている国である』 この「開く」とはいったい何なのか。 『これらはもともと検証も論証も不可能なことである。コロンブスにはアメリカ大陸の知識はなかったのだから(誰にもなかったが)、コロンブスの航海術にはアメリカはない。アインシュタインは他の科学者と同様に地球のまわりにエーテルの風が吹いていると思っていたのだから、それを確認するための科学を作り出そうとしていたとしても、エーテルの風を不要とする科学を作ろうなどとは思っていなかった。しかし、適用は失敗したのである。その失敗が新たな科学的世界像を生んだのだ。これらの一連の流れから何を学ぶべきなのか。あらかじめ未知の対象がそこに設定されていなかったからといって、その設定のために使われた方法によって、設定されていなかった新たな知を生み出すということがありうるということなのである。』 (第1042夜) ●「開国」は「イメージとは何か」の問題だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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