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『したがって明治政府が「日本という国家」を“急造”しようとしたことは疑いえない。』
(第581夜『開国』伊部英男) ならばその「国」とは日本にとっていったい何だったのか。 第589夜『若山牧水歌集』。 ★『なぜ牧水は「国」なのか。これらの「国」は「日本」ということもあるけれど、ほとんどは信濃の国とか豊後の国というときの、その国である。その国の山河であり、山川草木である。また人国記というときの人の国である。』 先週の日曜日、友人らと一緒に京都を巡ってきた。 いわばたった一日の“日本美術応援団”だ。 南禅寺で狩野永徳や長谷川等伯の襖絵を見て、遠州の庭をぐるりと巡り、500円出してお抹茶とお菓子をいただいてハイポーズ。 門のすぐ脇で湯豆腐食べて、次は比叡山に登って延暦寺。 堂内に掛けてある釈迦の弟子の肖像画(油絵!)にウワッ!蝋人形館ダ。 本物を見たからといって、何か特別スピリチャルなものが得られるものでもないのはわかっていたけど、それでもやっぱり何か物足りない。 アレックス・カー(第221夜)の百分の一の落胆か。 こんなとき、やはり牧水の“「国」感覚”が“場所”の何かをこじあけるのではないだろうか。 ★『おそらく牧水には行く先々が「国」だったのであろうと思う。いわば「そのつどの国」が牧水の国なのだ』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年06月06日 00時55分20秒
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