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芹沢圭介の画集を眺めておりました。
1955年頃、芹沢はたくさんのマッチラベルをデザインしている。 小さいけれどもこれらの作品、イメージとサイズが妙に合致しているように感じた。 イメージというものにはサイズがあるような気がする。 芹沢のイメージというのは案外このマッチラベルくらいが等倍なのではないだろうか。 もちろん芹沢の作品には中型も大型もあるが、これらの作品はマッチラベルサイズのイメージをプロジェクターで拡大をしているようなものなのでは、と勝手におもったりする。 作家というものは、このイメージとサイズの間で揺れ動くものなのか。 ジャコッメッティ(第500夜)の彫刻は一時期、どんどん小さくなっていったし、クレー(第1035夜)の作品はどれも小さい。 松岡さんは「遊」時代、活字を限りなく小さくしていった。 第144夜『日本のマッチラベル』三好一 『べつだん調べたわけではないが、ぼくの勘では北原白秋や三木露風や木下杢太郎のモダニズムや、竹久夢二や恩地孝四郎の感覚というものは、意外に燐票デザインと連動しているのではないかと見ている。』 無名の画工が生み出した謙虚な美。 この小さなラベルの向こう側には、まだ開かれていない日本の秘密がありそう。 ぼくも学生の頃、趣味でたくさんのマッチラベルを集めていた。 植草甚一(第81夜)や石子順三のマネをしてのことだったが、 柳宗悦を知って、これがはじめて腑に落ちた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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