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クレーの『無限の造形』はいきなりこうはじまる。
『地上の世界における運動は、エネルギーを必要とする 線と面、そしてその文節エネルギー』(『無限の造形・上』) おー、眠れない。 熱帯夜だ。 第735夜『生物から見た世界』ヤーコプ・フォン・ユクスキュル 生物は人間も含めて個々の環境世界で生きているということ。 共通の自然なんてものはないということ。 自然こそ無限にあるのだ。 第5章の『知覚標識としての形と運動』にあるコクマルガラスの事例が印象に残っている。 コクマルガラスは獲物であるバッタを動いている状態でしか認識できない。 なぜならコクマルガラスはバッタの静止している形をまったく 知らないからだ。 コクマルガラスにとっては動いた痕跡、飛びたった放物線がバッタ なのだ。 (だから昆虫世界において「死んだふり」がとても効果的) イタヤガイという貝もおもしろい。敵であるヒトデを認識するのにその形や色なんかを見ない。 ヒトデの動きのテンポを見ている。だから当然同じテンポのものすべてに反応する。 またミツバチはその花の形を見ている。 開いた形、例えば星形や十字形のものには反応する。 また閉じた形、例えば丸や正方形などの閉じた形のものには反応しない。 おもしろいのはこの「開いてるか」「閉じてるか」の二種類しかないということ。 これも“外へ動きのある形”と“内へ動きのある形”という意味では運動に反応しているようにぼくにはおもえる。 『無限の造形・上』のなかの“フォルム”についての一文。 『フォルムとは、終了、結果、結末であるなどと、いかなる場合いかなる時にも考えてはならない。それは生成であり、成ることである。運動としての。行為としてのフォルムは善く、また活動的なフォルムも善い。悪しきは、静止、終点としてのフォルムである。』 クレーはこのフォルムとは運動そのものだと云っている。 これを“フォルムング”とも云っている。 そしてその運動のはじまりを“フォルム形成の第一エネルギー”としている。 バッタが飛び立つ。 矢印。 動きを現すたくさんの線。 これもコクマルガラスやイタヤガイやミツバチにとっては“フォルム形成の第一エネルギー”なのではあるまいか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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