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“フリをする”
“外見を真似る” ということはフシギなことだ。 第118夜『風姿花伝』(花伝書)世阿弥元清 『本座に一忠がいた。これが名人で、観阿弥は一忠を追って達人になる。そして52歳で駿府に死んだ。だから世阿弥には達人のモデルがあったということになる。一忠が観阿弥の名人モデルで、観阿弥が世阿弥の達人モデルである。生きた「型」だった。』 ●うわっ、“生きた「型」”! 『第2のコンセプトは「物学」であろう。「ものまね」と読む。能は一から十まで物学なのだ。ただし、女になる、老人になる、物狂いになる、修羅になる、神になる、鬼になる。そのたびに、物学の風情が変わる。それは仕立・振舞・気色・嗜み・出立(いでたち)、いろいろのファクターやフィルターによる。』 ●ぼくも「ものまね」をしよう。 これは北宋の画家、伝・李公麟「猛虎図」を木版で「ものまね」したもの。 たしか伊藤若冲もこれを「ものまね」していた。 もっとフワフワの虎の毛のフリをしたい。 もっと質の「ものまね」が重要だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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