フチの重要性
今日自分の版画を屏風表装してもらおうと思い、とある屏風屋さんに行った。でうっかりこんなことを云ってしまった。屏風のサイズ値段表のようなものはありますか?それに対し屏風屋さんはキッパリそんなものありませんそりゃそうだ、屏風にB全もB2もあるなずがないのだ。われわれは生活の中で知らず知らずのうちに規格サイズを持ってしまっている。フレームを持って生活をしていると云っていいのかもしれない。パソコンのプリンターや諸々の印刷物は大抵Aサイズ比率で出力されてくるし、メモを取るときや企画書を書くときのノートも大概AサイズもしくはBサイズ比率だったりする。絵を描くときのスケッチブックやクロッキー帳だって似たような比率だ。すでにそこにイメージの編集がはたらいている。宗達の画面を見ていていつもおもうのは対象の切り取り方のうまさだ。縦横の比率。これ以上見せすぎても野暮だし、見えなかきゃワケがわからない。この塩梅。光琳のがもっと洗練されているという声もあるが、ぼくは光琳の洗練よりも宗達の無骨なフレーミングに魅かれる。宗達は題材のほとんどを平治物語、伊勢物語、源氏物語などの平安絵巻から借りてきていて、題材のオリジナリティーにはほとんど関心がない。それよりも色とそのフレーミングにこそ関心があった。フレームの編集に専念したかった。宗達の縁とそこに字を散らす光悦の布置。うーむ、フチが重要か。●宗達の“たらし込み”技法を木版でやってみた。ええい、輪郭線などうっとうしい。面だ。これはパズルのピースなのだ。