|
カテゴリ:家族
運命はほんの小さな出会いで変わると人はよく口にする -1993年TBSドラマ「高校教師」より
日曜日に妻とドラマ「佐々木夫妻の仁義なき戦い」を見ていた。 そうだ、妻との結婚を駆り立てたのは、桜井幸子さんが主演していた1993年TBSドラマ「高校教師」だったんだ。当時は人間嫌いで科学の真理しか関心がなかったのに、数えるほどの出会いしかないのに、フィリピン女性と結婚に向かわせたのは、このドラマが影響を及ぼしていた。 あれから私と妻の人生も大きく向きを変えて転がり始めた。
私が妻と出会ったのは同じ年の夏。 妻と最初に出会ったときも、泊まっていたホテルで妻がウェイトレスとして働き始めるときだった。そこでは10日ぐらい滞在したと思うが、私が朝と晩は同じレストランの同じテーブルに席を取った。5日目くらいに彼女たちが練習生として、レストランの仕事をじっと眺めていた。そのときに声を交わしたのが最初だった。小柄で小さな顔は真っ黒で、強いまなざしの目が輝いていた。青いTシャツを着ていて化粧もせず飾らない、高校生くらいの雰囲気だ。 そのときの彼女のとの付き合いは、ダイビングが終わって彼女がオフのときに何度か、おしゃべりをしたぐらい。いままで外国を旅行したのは30カ国以上だったが、その外国人の生活まで踏み込んで知ることはなかったので、いい体験になるぐらいにしか思っていなかった。日本に帰る前の最後の夜のデートでぐっと抱き寄せて、キスをした。それだけの関係だった。 当時のフィリピンは携帯電話どころか地方には電話もない時代。彼女とはそれから友達として何度か文通をするようになる。手紙で彼女の家族や置かれた状況を知ることができた。
私は帰国して、大学院の入試に合格した。入学前だが、大学のそばに引越しして研究を始める。そのとき、「高校教師」の再放送が始まって、テレビをつけたら3話目ぐらいだった。 主人公の羽村は大学に残って研究職を目指すが、教授に論文を盗作されたりいろいろあって、女子高の一時的な講師となる。いづれ大学に戻って研究を続けたいと考えている。偶然であった女子高生、二宮繭は父との関係に悩んで助けを求めている。そんな二人が恋に落ち込んでいくが、破滅的な恋であった。
研究を続けながら、一方で妻と文通をする。妻の状況をだんだん知ることになる。 私は当時の状況が主人公の羽村に重なり、妻は高校生に見える風貌や素朴さから二宮繭にダブる。私は研究の道を捨て企業に入りながら、企業の道に幻滅して再び学者の道に戻ろうとしていた。 妻のことを手紙を通してしか知ることができない。 情報がないと勝手に妄想が膨らむ。だんだんじっとすることはできなくなる。 またマイレッジが残っていて正月明けに便の予約を取って、彼女に会いに行くことにする。住所は知っているが、ボホールの州都のタグビラランで指定した日で指定した場所で会うことにする。 そのときも、ひょっとしたら手紙はうそが書かれていて、日本人からお金をふんだくるのではないかという恐れも頭の隅にあった。ボホールに行って彼女に会えなかったら、「まあそれはそれで楽しい出会いだったということで忘れよう」と思っていた。手紙はクリスマスのころに送ったのだが10日ぐらいかかり、再開する前日に彼女の家に着いたようだった。 そして、指定した日に指定した場所で、彼女は妹を連れて会いに来た。 こうして運命が転がり始めていく。 まだこのときは結婚なんて全然考えていなかった。
実際のところ、妻は普通のフィリピンが抱える問題はあるけれど、借金があるわけでもなく、大きな問題を抱えているわけでなかった。ドラマの世界を重ねたのは私の一人合点だったので、それすらも忘れていました。 しかし、私たちのドラマは勝手に転がりだしていた。 (私自身と私生活がぼろぼろな状態なので、人生を再構築するために振り返っています。どこでどんな決断をしたんだろうかと後悔しても始まりませんが、原因はなんだったんだろうか分析するためにね。同時にみなさんも人生の大切な場面で判断を間違えないようにしてください。また子どもために実際の記録を残すためにも。妻はドラマチックだったので小説にしたらいいんじゃないと言っていますが、そんな大したものではない。ブログで十分です。みなさんにも一人一人、それぞれの人生のドラマがあると思いますから。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[家族] カテゴリの最新記事
|