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鶏が口だけでも飛び立ちます

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2008.07.09
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ウルルン滞在記を見る楽しみは、昔行ったことのあるところがどんな風になったかを知ることです。ここも20年前の1987年11月末から12月のクリスマス前までの1ヶ月間、エジプトを旅行していました。

ウルルン滞在記は、シワ(Siwa)というオアシスが紹介されていましたが、これも1987年12月10日ぐらいから4日間ほどいました。そのときは、Lonely Planet社の"West Asia on a Shoestring "というガイドブックに載っていまして、エジプトから西へ西へモロッコまで行けないものかと思っていました。

古い話をしても嫌われるのは承知しているのですが、、、20年前のSiwaがどんな感じであったことを残しておこうと思います。

Google Mapの地図(http://maps.google.com/?ie=UTF8&ll=29.869229,26.169434&spn=4.467169,6.251221&z=7)

その時はカメラをもっていないので写真がありません。このGoogle Mapでも"More Photos"を選ぶと写真が表示されます。

アレキサンドリアから西へ行く列車があって、1日1便が国境に近いマトルーフ(Matruh)という街まで伸びていたと思います(駅名ははっきり覚えていません。最終地点まで)。もっと多くの便は途中の街までで、たしか第二次世界大戦のロンメル将軍で有名な、El Alameinぐらいまではたくさんの便(1日3便)ぐらいはあったと思います。

そこまで行って、陸軍情報局の事務所へ行って、Siwa Oasisへ行くための許可証をもらいます。場所は人に尋ねて歩いて行きました。たしか街の中心から歩いて3kmぐらい東にいった、街の外れです。そこで、フィンランドのカップルに会いました。その街からバスで4時間(300km)ぐらい行ったところ、Siwaがあるそうです。リビアとの国境付近なので、許可がいるそうです。

フィンランド人のカップルと仲良くなって、一緒にSiwaへ行くことになりました。その日はフィンランドのカップルと食事をして話します。彼らも同じガイドブックを見て、来たようでした。このシワのことを知っている人はあまりいないようでした。彼らと打ち解けあって、一緒に行けるのは幸運でした。何しろ1人で、滅多に行かないところへ行くんですから。おまけに食事も彼らにごちそうになりました。この鉄道の最終駅のある街も、パキスタンのクエッタという街のように高い建物はせいぜい3階で、ほとんどは土でできた家の街でした。人口は1000人もいないでしょうね(郊外も含めると数万人というかもしれません)。

Siwaはリビア砂漠(サハラ砂漠の中でリビアからエジプトに広がっている一帯)にぽつんとあるオアシスです。砂の砂漠というより岩石砂漠です。砂漠以外は見るものは何もないところで、ガイドブックには、アレキサンダーの墓があるという噂が載っているだけでした(それも定かでないとか)。でもサハラに近づくということでわくわくして行きました。

バスは週2便しかありませんが、運よく翌日に行けるバスに乗ることができました。乗客はフィンランドのカップル、40代のアメリカ人男性と30代のドイツ人男性と私でした。朝6時すぎに出発したと思います。砂漠は暑くなるので、朝早い時間に出るようです。他には、エジプト人が数名ですが、バスの真ん中に、郵便物や食糧や生活必需品の荷物を載せていました。

窓の外を見ても砂漠が続くだけで、道は舗装されていませんがまっすぐ続きます。朝早いのと景色が単調なので寝てしまいました。3時間ぐらい走ると、小さな街のようなものがあり警官か軍隊が乗ってきました。アメリカ人の一人が下されました。あとで一緒にいたドイツ人に尋ねたら、「彼はベトナム兵だったのでそのことで降ろされたらしい。」その後Siwaで彼を見なかったので、きっと返されたんだと思います。

 

この話は20年前の記憶を辿っています。間違っているところや思い込みもあるかと思います。20年前は私にとっては少し前の出来事ですが、若い人には先史時代のものと感じるでしょう。その20年前の1987年のさらに20年前は、1967年。まだベトナム戦争が始まったばかりで、1975年のサイゴン陥落へ続くのですから、そのときの40代のアメリカ人にとっては、ついこの前と思っていたのかもしれません。1967年前のさらに20年前は戦後ですものね。。

 

Siwaへ着きました。

ウルルン滞在記で見るのとは大違い。まったく旅行者はいません。そのオアシスは人口が数百人ぐらいしかいませんし、オアシスの端から端まで2時間もあるけば終わりです。シリアのパルミアのオアシスよりも小さな感じでした。泊まるところは、アメリカの平屋のモーテルを小さくした感じ。5部屋しかありません。フィンランド人カップルは1部屋をとり、私は大きめの部屋の1つのベッドを借りることになりました。

荷物をおいて街にでました。ほんと何もありません。暇なのでテクテクと歩きます。街の中心に小さな山があり、そこは昇れませんが、その山を1周する感じで道があります。

夜になって、フィンランドのカップルやドイツ人らと一緒に食事をしました。街の真ん中にお店が5件ぐらい連なっているところがあり、その前が広場になっています。席とテーブルがいくつか出ておりました。アラブ人の男はそこで水パイプを飲んだり、紅茶をすすっています。そのうちの1つのレストランが食事を出してくれます。チキンとトマト・キュウリとナンみたいなものと、ごはんと豆を混ぜたエジプト料理です。食べるものはそれしかありません。毎晩それを食べました。朝はパンとコーヒーを飲んだくらいかな。

食事も観光も、、まったく観光化されていないのも退屈なものです。

Siwaは電気も通っていなくて、お店は発電機で明かりをつけていました。あるお店は14インチのテレビを出してそこでVTRで映画を見せていました。ジャッキーチェンのカンフーものかアラビアの映画です。

3日目のことでしたか。あるお店のアラブ人の青年が、油かガソリンがかかって全身火だるまになるという事件が起きました。そのあと周りの人が消し止めましたが、服は焼け髪は焦げ全身真っ黒になりました。ただ眼のところだけが、白く浮いています。

消した後はまだ元気で、何かを訴えるように叫んでいました。

お店の人がそれを諌めるようにして、リヤカーに乗せて運んで行きました。街には医者も病院もありません。また来た道をトラックに乗せていくんだと思います。やけどがひどかったので、ひょっとしたら数日後には亡くなっていたかもしれません。

街を一通り歩くともうやることはなく、持っていた絵葉書で知人宛てに書きました。いつもは出していないので20通ぐらい。それにカイロで買ったスタンプを貼って、Siwaのオアシスにあるポストに投函しました。それはいつまでたっても届きません。この砂漠からは無理なのか...このSiwaから投函したのが良かったのに、、、これならカイロへ戻って送れば良かった。

Siwaのオアシスはそれぐらい。何にもない街です。4日後のバスに乗って、また元来た鉄道の町へ戻り、さらにアレキサンドリアへ、そしてさらにカイロへ向かいます。

 

日本に帰って2年後に就職した会社で、「同僚がエジプトへいったんだぜ。それも砂漠のSiwaという街へいったんだぜ」と自慢していました。「俺もいったよ」というと、彼は凹んでしまいました。「日本人で初めていったぜ」というようなことをいっていましたから。話を聞くと、カイロから現地ツアーで行ったようです。

私は誰も行ったことがないところへ行きたかったのですが、そんな場所はまあ世界中どこにもありませんし、そこは意外にも退屈であると感じました。

 






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Last updated  2008.07.10 08:13:00
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