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首相には無責任だと怒りを感じ、彼だけでなくそんな風潮がはびこる日本の閉塞感を嘆いた。
ただ日本では優秀な人がたくさんいて、真面目な人もたくさんいて、一生懸命に働いて支えている。それも日本という国、日本人というやさしく素晴らしい人たちは誇りに思っている。 問題はやり方なんではないだろうか? 私の人生と同じく日本は空回りしているところから、歯車がカチっとあい、ゆっくりと噛みしめながら回っていく。そんな一歩一歩着実に世の中がうまくまわっていく仕組みが必要なんだろうと思う。 人や組織の批判ばかりしていてはいけない。 必ず代替案を提示しなければいけない。ということを最初の職場で学んだ。 代替案を出すのは難しい。良くわからなければ嘲笑されることもある。でも素人ながらに言ってみるのも大事だ。1億2千万人の国民が、一人一案を出せばそのうちいいものがあるかもしれないと思う。 私は、やはりこの閉塞感から抜け出すには、リスクを恐れず一歩前進することだと思う。変化を起こす。ただ変化を嫌う人もいる。変化で打ちのめされる人もいる。それが変化だ。 変化を起こせば、プラスに働く部分もあるし、マイナスに働くものもあるのは当然だ。マイナスになると思う人がいれば反対勢力が生まれる。それはいたしかたない。マイナスになる人にとっては、別の手段・方法を導いて解決するしかない。 道路をつくったとき立ち退きを迫られる人は必ず出る。他に引っ越す場所を適切に用意するように。 日本の閉塞感は、「お上」を見ることとリスクを負わないことではないだろうか。会社に就職して生活していくという当たり前の生活、周りと同じことをするという意識が、リスクを取らずにいきることを助長している。 リスクを取らない生き方は、すべての人が公務員になって、上からの指示通り働くことである。前例にあることだけをしている限り、何も変化は起きない。そしてそんな社会にしてしまったら、誰もリスクを冒そうとしない。私のような生き方はリスクの塊で、リスクを冒す方が損をする。そしてやがてだれもリスクを冒そうとしなくなる。 それ自身が、国全体がリスクを冒さなくなることが自体がリスクである。 日本の国を取り巻く、国際的なこと、自然の猛威、そのどれもが変化に富んでおりリスクを冒さなければ対処できない。 「あたらしいことをやってみなはれ」 「たぶん、失敗する。でも、もう1回やってみなはれ。」 「また失敗するかもしれな。じゃあ、さらにもう1回」 新しいことはまず失敗する。99%は失敗に終わるかもしれない。 でも、その次の1%が成功するかもしれない。そうしたら、あたらしい価値がうまれる。その価値が新しい産業になる。あたらしい世の中になる。 その価値はダメかもしれん。でもその時代にあったものであれば生き残る。 その価値がいいとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、それはその時代が判断すればいい。 具体的には、中国で成功した経済特区が一番いいのじゃないかと思います。 いろいろ問題がある経済特区だけれど、あのとき中国全体を変えようと思っても問題は山積み、反対意見もたくさんあった。実際に中国全土でやったら「ほら広東省では成功したかもしれんけれど、貴州省では失敗してめちゃくちゃになった」と言われて逆効果だったかもしれません。 成功するかしないかわからんけれどとにかくやってみる。 たとえば、沖縄は香港やケイマン諸島のように、タックスヘイブンにして、法人税・所得税を安く、物品に税金をかけない。そして東アジアのハブにする。 九州はそのハブを支える、アジアの出島地域にする。中国人と韓国人はビザ免除。 北海道は、オーストラリアのタスマニアと姉妹州(道)にして、お互いの州民は交流できるようにする。経度がほぼ同じで、夏と冬が反対だけれど自然がよく似ている。 やっぱり、日本も英語を標準語にする。。。。 素人なのでだんだんとネタが尽きてきた。 21世紀は国の境があいまいになって、もっと小さな単位で何重にも所属する組織が分かれていく時代になると思う。 国際的な会社に勤めている人は、国よりも会社の利益を優先する場合もあるだろうし、民族はすでに国をまたいでいる。性向や考え方も、民族のなかでも異なる。 やっぱり、国の代表を決めなくては何も始まらないけれど、いろいろな人の意見をすべて取り込んで決めていくというのも無理な状態。昔の無知な国民ならばそれが可能だけれど、いまや意見がまとまるというも難しい話。 意見の合う人たちのところへ引っ越して、その人たちと共同生活すればいいのかもね。そのためにも、まずは英語を学ばなきゃ。もちろん中身も。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.09.03 23:05:02
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