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ビジネスを考える前に、そもそもお金って何だろうか?
原理原則に戻るようだが、いままで気づかない側面があるかもしれない。 新明解国語辞典では、単に「貨幣・金銭」と書かれているだけ。 経済学的には、以下の3つの特徴がある。 「交換機能」 - ものと交換ができる 「価値尺度機能」 - 値段によって価値の良し悪しを図ることができる 「価値貯蔵機能」 - 腐らないのでためておくことができる 過去には、金・銀などの錆びない(にくい)金属で装飾的にも美しいものだったりすることが長く続いていた。ヤップ島では大きな石だったり、古代中国では貝だったり、それは歴史を調べれば面白い逸話が出てくるだろう。今は紙幣とコイン。 そして、銀行の口座にある数字、電子マネーだったりする。 しかし、よくよく考えてみると、お金そのものに価値はない。 倒産した銀行の口座の数字をみて、うれしいか? 海外旅行に行って、再両替できずにあまった外国の紙幣に価値はあるか? イタリアリラやドイツマルク持っているけれどすでにユーロに切り替わっているし、日本では交換しづらいしそのままは使えない。 無人島でお金の入ったトランクを持っていて、価値があるだろうか? タイタニックの映画の中で、沈んでいく船から救命ボートに乗る時お金が山のようにあって「お金はいくらでも払うからボートに乗せてくれ」と言って、「お金なんかもらってもしかたない」と言われた。 お金は、社会的な権利、そのものかもしれない。 人と人との間で権利を行使する・しないかの関係がある。 100円のバナナを買いたいと思う。 100円を財布から出して、「バナナをください」と店の人に言う。 店の人は「はい、おおきに」と言って、100円を受け取り、バナナを包んで渡す。 そのとき、100円というのはお店の人が『バナナを100円で売ってもいい』という権利を主張している。お客は『100円を出して、バナナを買ってもいい』という権利を行使しようとしている。 なぜなら、通常その売買は問題なく成立するのだが、お客の気が変わったり、お店の人の気が変わって売買が成立しないこともある。 またインフレやデフレによって、値段の変わることがあり、バナナの価値が変わることもある。 お金の価値が変わることもある。 わかりやすくするために、財布の中に1万円と米ドル100$と100ユーロがあったとする。 毎日為替相場で、円は対ドル、対ユーロにたいして変動している。 すると、あなたの財布の絶対的な価値は毎日変わることになる。 ただ、紙幣は変わらないので、果たしてお金持ちになったのか、貧乏になったのかわからない。 私たちは毎日豊かな生活を送ろうとするため、一生懸命に働いている。 その労働の対価としてお金を受け取っている。 そのお金自身に絶対的な価値はない。社会の中で「何かをする権利」として存在する。通貨の弱いインフレの激しい国では、朝の値段と夜の値段が違うように、その権利自身がすぐに減少していく。賞味期限がありどんどん目減りしていく権利となる。 権利を行使する相手がいて、その権利を認めてくれないと、その権利は価値がない。私が日本でイタリアリラで物を買えることはないだろう。アメリカドルだったら、あるお店ではいいよと言ってくれるかもしれない。ほら、図書券で本以外のモノを買えるところだってあるじゃない(東横イン)。 そう思うと1種類の通貨だけで、権利の基準を設けているというのは、当り前のようでいて特別な状況だという気がする。 そういえば、地域通貨というのもあるし、「信用」という金額の基準になっていないもっと大事な権利の交換というのもあるなと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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