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妻と結婚して14年、娘と過ごして13年、、、
母や妹ともその前に過ごし、何人かの女性とも付き合ったことがあったけれども、女性の考えていることはまだわからない。 遺伝的にY遺伝子とX遺伝子が異なるので、性差になっているけれど、脳も考え方も違うようだ。 妻はフィリピン人で文化的にも環境的にも日本人と異なるんだろうけど、その国の違いよりも男女の差の方が大きく感じる。 娘が生まれたときから13歳になるまで見ているけれど、興味のあるところが息子とは違うなと思う。 娘はファッションとか恋愛に興味を持っており、いかにも女の子らしいと思う。 一方、息子は戦いや競争やヒーローものに興味を持つ。 私はたぶん人並み以上に本を読む方だと思うけれど、ときおり偏った本を読んでいないかと気になることがある。Amazonなどで本を注文したり、ブログでの推奨している本をみると、どうしても関心のある本ばかりになってしまう。 それで、ときおり図書館の書棚をぶらついたり、返却されている本をさらっと眺めることにしている。本屋へ行っても、女性向けの棚を見て本を取るようにしている。 とはいっても、ファッションや編み物、料理、食べ歩きなどは興味があまりないので、通り過ぎてしまう。でも女性向けの自己啓発書を手に取ったり、風水や相談ものは見てしまうかな。週刊誌を手に取るのもいいけれど、女性の秘密を盗み見るようで恥ずかしく感じることもあるし、興味が合わないこともあるのでいいかなという感じになるかな。 でも男性向けの本は、会社の中でどうやって収入を多くしていくかとか、営業のテクニックやなんか戦い抜いていく秘訣というような本が多いけれど、女性の方は身の回りで問題をどうやって解決していくかということが、ほのぼのと書かれている感じがする。 男は命をかけて戦うという一方で、女の人はいざこざがあって精神的にたいへーん。そういえば借金して首が回らなくなったり夢が途絶えてしまうと、男は自殺をしたり、生命保険をかけて死んでお詫びをするというものだが、女性は精神的におかしくなっていなければ「ないものはしょうがない」と開き直っているかな。 ここぞという猪突猛進で切り抜けようとするのは男性的であるが、女性はどんなときでもうろたえずうまくバランスをとって地道に問題を解決していくかな。 男性・女性論をぶつ気はないけれど、こういう世の中では男のやり方だけでは限界が来てしまった感じがする。男社会に女性が入ったというのではなくて、女のやりかたでじっくり支えてもらうというのもいいのではとも思った。 そこで、従来の視点では限界を感じていたところで、新しい視点でものごとを見ることができないかと考える。例えば、感情や夢などを取り入れて、ものごとを考えれないかな。男は勝負をしてどうやって生き残るかということを重視しすぎるので、まったく別の次元で捉えてみるということを試す。 たとえば感覚を研ぎ澄ませる。 視覚、目に入るものをじっと見て、目に入るものの形や色を感じ取る 聴覚、歩いているとき、地下鉄に乗っているとき、座ってじっとしているとき、音楽を聴かずに周りの音をじっと聞く。 臭覚、人のにおいをかぐ。自分のにおいをかぐ。妻や子どものにおい、ごみのにおい、同僚のにおい、歩いている人のにおいをかぐ 味覚、ものを食べたときに、口に入れた味の感覚を得る 触覚、さわり心地、そっとものを触る。目をつぶってさわり、それが何であるかを感じ取る。 実はこれらの五感は、現代社会の間では疲弊して麻痺していることが多い。 目をつぶらないと視覚の鋭敏さはわからず、イヤホンで音楽を聴くことをやめなければ街の音に気付かない、鼻をくんくんさせないと微妙な匂いが分からず人の違いは匂いでわからない。舌は刺激的な味しか感じなくなっている。触覚も、人の肌の温もりが伝わらなければわからない。 夢、、、、拾足している世の中には感じることはないだろう。 とりあえずこんな時代でも衣食住足りている、そのうえさらにもっと欲を突っ張れば夢を持つ必要もない。 もっと、精神的な渇きを感じる必要がなければ、、、 夢や芸術などは必要のない時代かもしれない。 いや衣食住が足りているからこそ、夢や芸術が欠乏しているかもしれないとも思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.22 09:35:02
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