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非常にわかりやすく書かれた記事をFBの友人のところで
見つけましたのでシェアさせてもらいます。 北海道新聞の社説より 真の平和主義取り戻そう(07/01) 自衛隊が創設されてちょうど60年となるきょう7月1日は、後に日本が平和主義を捨てた日として記録されるのだろうか。 安倍晋三政権が集団的自衛権の行使を認める憲法解釈変更を閣議決定する。戦争の反省から出発した、専守防衛を柱とする日本の安全保障政策の大転換である。 この60年間、自衛隊は他国民を1人も殺していないし、1人の戦死者も出していない。それは憲法9条があったからだ。平和主義を国民は支持し、自民党政権もそれに基づいて国政を担ってきた。 集団的自衛権行使を認めれば、日本を敵視していない国を自衛隊が攻撃したり、日本が攻撃の標的になったりしかねない。 「国民を守るため」という首相の説明と裏腹に国民の命は危険にさらされ、国際社会における平和国家としての信頼も損なわれる。 安倍政権は年末の日米防衛協力指針見直しに向け、集団的自衛権を実際に行使するための法整備を秋の臨時国会で行う方針だが、断じて認められない。 首相の「積極的平和主義」というまやかしを排し、真の平和主義を取り戻す。きょう7月1日を、その最初の一日としたい。 首相は集団的自衛権行使を容認すれば「抑止力が高まり、戦争に巻き込まれなくなる」という。 だが日本はこれまでも戦争に巻き込まれず、曲がりなりにも平和を維持してきた。それは米軍の抑止力があったからというより、憲法の歯止めがあったからだ。 日本は1991年の湾岸戦争や2001年からのアフガニスタン戦争、03年のイラク戦争に加担を求められた。その都度9条の制約との整合性を議論しながら、結局それぞれ戦後のペルシャ湾での機雷除去、インド洋での給油、「非戦闘地域」での復興支援を選択し、1人の犠牲者も出さなかった。 戦後日本が獲得した平和国家のイメージは外交上の資産でもある。日本はほとんどの国と敵対関係をつくらず、世界で広く親日感情を築いた。それが企業活動の基盤となり、経済発展につながった。 解釈改憲による集団的自衛権の行使容認は、これら9条が日本にもたらす恩恵をすべて奪い去る。 首相は集団的自衛権の行使が「必要最小限なら認められる」と強調する。だが行使するかしないかは二つに一つだ。実際の戦争に限定などあり得ない。 これまでは9条を理由に米国の参戦要請を断れたが、今後は難しくなる。自衛隊が戦争の泥沼に引きずり込まれる可能性が一気に高まる。 中国や韓国との関係は一層、冷え込むだろう。中国と北朝鮮は日本の安保政策転換を軍拡の口実にし、東アジアの安保環境はさらに悪化しよう。 首相はこれらの懸念について国会や国民への説明を避けたまま、戦争できる国づくりを着々と進めている。最終的に目指すのは改憲による国防軍創設である。 東アジアの安保環境の変化が日本にとって不安要素になっているのは確かだろう。しかし、摩擦が生じているときこそ、対話を通じて互いに抑制した対応をする環境を整えることが第一だ。 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。今こそこの決意を生かすときだ。諦めてはならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.07.04 10:37:21
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