17歳 アレルギーその後
セイキチは高校生男子何にも食べられなかった赤ちゃん時代を経て2歳の直前にお米を食べられるようになりました。いつ、窒息するかと、ひと時も目を離さず、母子密着て、こーゆーの?的な子育てを経て、幼稚園は週一の所へ。小学校では、給食をチェックしてアレルギーのあるものは代替食を持参。自然学校や修学旅行では、途中の交代の先生がクーラーボックスに入れて運んでくれました。考えたら、学年に結構な数アレルギーの子がいたのよね。広島のもみじまんじゅうを買い食いするイベントでは、先に卵の入ってないもみじまんじゅうを購入して、これも先生に預けました。先生も錦堂さんもありがとう♡まだこの頃は、食べると苦しくなるものが多く、気管支を広げる薬をもたせて、毎日ドキドキしていました。給食の代替食のお陰で、卵を使わない目玉焼き、おかずバージョン、デザートバージョン、卵を使わないマヨネーズ色々考えて作りました。案外楽しかったのですが、弁当の方が、似せなくて良いから楽かも?とお弁当の私立中学へ。中学生になって急に食べられるものが広がってきました。クラブの合宿先から連絡があり迎えに行ったこともありますが、おやつの買い食いも、お友達からひとくちもらうものも、もう、親の目は届きません。Twitterにクリームパスタを載せてる!と先輩ママから速報が入るくらい、他のママも気にかけてくれて、中高をすごしています。クリームパスタは、SB食品のコーンクリームシチューのルーで本人が自作した物。ランチに作ってくれましたが、見た目はカルボナーラだったので、嬉しくて、投稿した様です。Twitterは学校で禁止なので、コレは話し合いになりましたが、ママ網ありがたいです。高3になった今、チーズのピザも食べますし、だし巻き卵、茶碗蒸し、体調と量を考えたら食べられるようになりました。いつまで続く?と思っていた、私がいないと死んでしまうと思っていたプレッシャーももはやなく、もしかしたら、もうすぐ一人暮らしかも!ご飯とお味噌汁さえあれば、どうとでもなる事を伝えて送り出したいと思います。目指せ、お料理男子大学生! *****個人差はありますが、一例です。基本、お薬は飲まず、完全除去でした。息が苦しくなった時はお向かいの小児科に駆け込みインタール吸入してもらった事もあります。お守りの様に、オノン(粉)を所持していました