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テーマ:アメリカ旅行記/生活記(952)
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先輩の息子さんにはtetywestが知っている状況を返信したのですが、このメールがきっかけになって、tetywestはBossのファミリーの住所を調べる行動を開始しました。
まずは、1997年にMr. Munemitsu の別荘だった家に住んでいた実習生の後輩と連絡をとることです。tetywestにとっては彼が唯一のコネクションなのです。しかし、2000年当時に連絡をもらったときのメールアドレスはもうどこにもありませんし、彼の姓は覚えていたのですが、名前の方は正確には思い出せないくらいだったのです。 グーグルにキーワードを打ち込んで探すこと10数分、何となくそれらしいHPが見つかりました。連絡先のメールアドレスもあったので、そこにメールを書くことにしました。 私は1975年から76年にDoi farm で実習していました。 おそらく、http://www.xxxxxxxxxxx/contact.php のOさんは、私が1997年9月にDoi farm を訪れたときにお会いした実習生の後輩のOさんだろうと予想してこのメールを書いています。もし間違っていたらごめんなさい。 私の名前はtetywestです。香川県でミカンを栽培しています。以前にDoi夫妻がリタイヤされてバレー・センターかサン・シティかに転居されたと連絡をいただきました。 その後、自分のHPで実習生当時のことを書いたところ、昔 Doi farmで実習生だった人や、その子供さんからメールを頂いています。みんなその後のDoi夫妻のことや、子供たちのことを知りたがっていますが、連絡先がわかりません。もし差し支えなければその後の状況をお知らせいただけないでしょうか? また、もし完全な人違いであれば、その旨お知らせ下さい。 突然のメールでお手間を取らせますがよろしくお願い申し上げます。 すると次の日、日曜の朝にそのOさんから電話がかかってきました。いや~ビックリしました。昨日送ったメールが届いたのだそうです。そういえば以前1997年に名刺を交換したのです。 その電話によると、Oさんはバレー・センターに住んでいます。Doi夫妻は娘のシャーリーと一緒にデービスに住んでいるそうで、Bossの子どもたちの消息もだいたいわかりました。Doi夫妻の住所はあとでメールで送ってくれることになりました。 その日の夜、先輩の息子さんに住所がわかったことをメールしました。すると月曜日の夜7時頃、今度は鹿児島に住んでいるその先輩本人から電話がかかってきました。いや~、もうビックリです。 その先輩は、帰国して以来カンキツ経営一筋で、3人の子供さんをりっぱに育て上げられています。アメリカへ留学している息子さんが末っ子なのだそうです。香川県の金毘羅さんへは時々お参りに来るそうなので、近いうちの再会が実現できそうです。 そして昨日の夕方、今度は先輩の息子さんから電話がかかってきました。tetywestのメールのアドレスに電話したところ、ちゃんとDoi夫妻と連絡がとれて、二人ともお元気で、tetywestのことも父親である先輩のことも覚えていらしたそうです。バークレーからなら車で1時間ほどの距離なので、事前に一度いらっしゃいとDoi夫妻から招待されたそうです。 電話の声が鮮明で、それも日本語なので、本当にUSAからだとはとても信じられないくらいです。まるでお隣からかかってきたようです。 今回、Bossの住所を探そうと思い立ってから確認できるまでは、たった4日間でした。もしインターネットがなかったら、Bossの安否どころか住所を探すことも不可能だったでしょう。15年前にはとても考えられなかったことです。 インターネットの普及で人類はこんなに便利な世界に住んでいます。70年前の日本人は、アメリカやヨーロッパに住んでいるのは「鬼や畜生」だと教えられました。戦争が始まるとアメリカに住んでいる日本人は、治安を乱す恐れがあるからと強制収容所に入れられました。そんな悲劇はお互いを知らなかったことから始まっているのだと思うのです。 住む国が違い宗教が違っても、お互いによく知り合えば同じ人間なのだということをtetywestは経験を通して実感しています。その知り合う手段として、現代ではインターネットのチカラはすごいものがあります。今回のエピソードでDoi farm を中心にした関係の輪が広がり、それぞれが新しく結びついていきました。tetywestはそのことに感動して久しぶりの日記を書いています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年02月22日 12時59分46秒
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