カテゴリ:オフクロの介護
一昨年、オフクロが心不全で倒れ、その後脳梗塞に襲われました。今年で90になります。 母が41のとき私が生まれたので、当時は平均寿命が短かったため「この子が成人するまで見られないだろうと思った」といいます。 妊娠したとき、地元の病院の医者に、「おかあさん、よく考えてください。この子が20になるとき、あなたは60を過ぎますよ。よく相談して、次回はT字帯を持ってきてください。」と言ったそうですよ。 子どもを育てる前に、あんたがくたばっちゃうから、堕ろせということだったんですね。 それで、近所の年長主婦に、「せっかく授かったんだから生んだ方がいい。私なら絶対産むよ。」と諭され決心したようです。 今は笑い話ですが、「お前は○○病院のドブの中に流されるとこだったんだ」とよく言ってました。 いま、その母の看病で毎日病院へ行きます。4才年上の姉が昼で、私が夕方です。 こんな生活も今では慣れましたが、一定期間ごとに転院しなければならないのが厄介です。 左の写真は、入院初期の状態で、中の写真がそのときの血圧や心拍のモニターらしいです。 これが今では右の写真のように元気になりました。歩くことはできませんが、失語症と診断された割には言葉もはっきり話します。ものの名前や人の名前などの名詞は、トンチンカンなことを言いますが。 病院では、歩けない人や立てない人は紙おむつです。ですから母も当然紙おむつなんですが、病院にはウォシュレット付のトイレがあるので、夕方私が行ったときに、そのトイレに連れて行き用をたすようにしています。 やはり、トイレでした方が紙おむつよりも気持ちがいいのでしょう。毎日私が行くのを心待ちにしているようです。 もちろん、私も始めは病院の対応に不満を感じていました。しかし、体格の良い方である私でさえ、オフクロをトイレに連れて行って、用を足させるのは容易ではありません。病院には、似たような患者がいっぱいいるので、歩けない人や立てない人をトイレに連れて行くことは無理なんでしょうね。まだまだ、女性が多い職場ですし、患者はみんな重いですから。 ですから、家族ができることは、家族がやればいいんだと思うようになり、病院や看護婦さんに過度の期待を抱かないようにしています。 老人介護の経験のない方にはちょっとショックかも知れませんが、オフクロは便秘症なのでウン固がなかなか出ないんです。ホントに「ウン固」というくらい堅いんですね。4~5日も出ないときは浣腸もしなければなりません。 もっとひどくなると、ゴム手袋をはめて、お尻の穴を指で掘ってあげるのだそうですが、そこまでは私もしたことがありません。 まあ、相手が若いおねーちゃんだったら、浣腸プレイもオムツプレイも楽しいのでしょうが、90になるオフクロのケツなど正直見たくないですね。 な訳で、介護、まじめにやってます。まだまだ病院にいられるからいいけど。 前に2ケ月ほど自宅療養したことがありましたが、24時間神経の休まることがないですよ。仕事もできなくなるし。 いつかは自分たちも例外なく老いて行くだから、生まれた子どもの面倒と、老い行く親の面倒を見るのは仕方ないですね。 「悪いねー」と言えるほど正気のオフクロが、うれしくもあり、悲しくもある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|