医師との話し合い
昼前ごろに医師と話をするはずだったが、12時半を過ぎても何の連絡もない。だんなが帰ろうとするので「自分がきちんと聞ける時間に設定したら」と話す。ナースセンターについていくと「午後か夕方ということだったが、もう時間がないので夕方にしてくれ」と言っている。どうせ昼は無理だったのだからはじめから夕方にすればよかったのだ。私が聞いておけばそれでいいと思ったのだろう。 どうしてこんな事態になっても自分が主体になろうとしないだろう。 ばーちゃんにしても「わたしゃ、自分の診察があるからね」といそいそと外来に向かう。 病室にいても髭をそるでもなく、手をさするでもない。じーちゃんに触れようともしないのが、前から気になっている。 12月の入院のときには足元から「じーちゃん」というだけで小さい声を聞き取ろうとすることもなかった。そのあと退院してやっとばーちゃんは自分で看るようになった。この3ヶ月はがんばったと思う。でも入院したとたん、また元に戻ってしまった。 昨日はじーちゃんのすぐ上のお兄さん夫婦が来てくれた。私といっしょに帰らなかったのは、お兄さんたちの手前だろうな、と穿った見方をしてしまうぞ。 結局夕方はだんなとばーちゃんが医師から話を聞いた。医師としては嚥下検査も無理にすることもない思っているらしかった。だんなは検査もしてちょっとでも抗癌剤を流し込めればと言ったようだが、それで話ができるようになるわけでもない。ただ辛い思いをさせるだけのためにそれは必要なのだろうかと私は思う。 もうあとは心の問題だけだ。声は聞こえていると思うじーちゃんに対して、何か話してあげることはないのか。 だんながいつまでも「じっちゃん」と言うのも気になる。じーちゃんは孫が使う言葉であって、あなたにとって、この人は息子たちの面倒をよくみてくれた人でしかないのですか? 私はいろいろあるぞ。 私が筋腫の手術をした翌日朝7時前に来てくれたのはじーちゃんだった。ちょうど吐き気がしていたところだったのでじーちゃんに背中をさすってもらった。 息子の部屋を板張りにする工事もじーちゃんがやってくれた。だんなにはいくら言ってもやってくれないのでじーちゃんに相談すると、その足でホームセンターに行って資材を買いに出かけてくれた。本業ではないのでちょっと失敗したりしても嫌な顔ひとつせずその日のうちにお昼ご飯も食べずにやり直してくれた。 双子をお風呂に入れてくれたのも、あちこち連れていってくれたのもじーちゃんだ。 じーちゃんがいたからこそ乗り切ってこれたことは数え切れないほどある。 同居していたときのいざこざも、今思うとばーちゃんの立場を守ろうとした愛妻家としてのものだった。料理が苦手なばーちゃんに恥をかかせないように、いつもじーちゃんはばーちゃんを擁護していた。「どうして脚が悪い人にさせるんだ」とよく怒ったっけな。 20歳前からいっしょにいるばーちゃんにはその何倍もの思いがあるだろう。 今話しておかないと、後で泣くことになるんだと、実家の母は言っていたな。