村田喜代子『硫黄谷心中』
赤峯高原、硫黄谷温泉にある澤田旅館という鄙びた宿に3組の観光客が宿泊する。それぞれが語り手となってここにきたいきさつとか、同伴者への思いなどが語られる。 宿の主人たちと連なって火口を目指す一団はいつしか過去の心中する4組の男女の姿となる。。。 村田さんは魂を描く作家だ。根性だとか努力に使われる「魂」ではない。人間が死んでしまったら肉体を離れてあの世にいくのか現世を彷徨うのか、それは誰にも分からないのだが、村田さんの作品を読んでいると、魂はいつもそこにいるのだと思わされる。 ただひとりの従業員の賄いのシゲ婆さんも実は心中未遂者だ。当時は全国でたくさんの若い男女が心中したらしい。 もともとわが国では歌舞伎や浄瑠璃などでも心中ものはたくさん演じられてきている。姦通が重罪だった時代にはそれしか選択の余地がなく、心中こそが最も美しい愛の形と信じられてくたのだろうと、これを読むまでは自分もそう思っていた。 あの頃は大学に落ちても、失業しても、女さえいれば男は死ぬ理由がついたような気がする。そう考えると、当時の女たちは可哀想だった。死のうと男が言えば、すがりつくようについてきた。 あの頃とはほんの半世紀前、いわゆる戦後が終わった頃である。 人々は戦争を忘れ、希望に満ちていたのだと思っていた。それが本当のところは、死ぬ場所を奪われてしまった男たちが、恋人を得ることによってようやく死に場所を手に入れることができた、と解釈できるのではないだろうか。 それにしても、これが書かれた1996年の翌年にあの『失楽園』が世に出たなんて。中年のおばさんたちは、あんなものを見ていないで、村田さんの作品を読むべきでしたね。 図書館で予約を待つ間、まだまだある村田さんの作品に目を通していきたいと思う。 いやあ、ほんとにいい人に巡りあいましたよ。