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殿上人日記(仮)

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2008年10月31日
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カテゴリ:モータースポーツ

 ロードレース世界選手権に8回のワールドチャンピオンを
 獲得して史上最強のライダーとも言われるバレンティーノ
 ロッシは「ろっしふみ」という愛称がある。「ノリックは
 僕のアイドル。唯一サインを求めたライダーだ」と彼に
 言わしめたのは日本人ライダー阿部典史であり、尊敬から
 自ら、ろっしふみ(ロッシ+のりふみ)と言っていたそうだ

 今週、ノリックの特集番組があり、旦那や息子と一緒に見た

 オートレーサーの父親の指導で幼い頃からバイクに乗り、若干
 15歳で渡米しダートトラック、モトクロスで修行。全日本
 ロードレース選手権の最高峰クラスの500CCクラスに参戦
 1年目にして、史上最年少の18歳でチャンピオンを獲得

 その活躍を世界へ移し、ロードレース世界選手権(WGP)で
 1996年の第3戦日本GP(鈴鹿)では、念願の初優勝を
 飾った。昨年にはその舞台を日本に移しながら、常に次の
 レースで走る事を夢見たまま、昨年の10月に、川崎市内を
 スクーター型バイクで走行中に、左側車線から突然にUターン
 してきた(Uターン禁止の交差点)トラックに衝突し、32才
 という若さでこの世を去った

 かつてNHKのBS放送では、モトGPの中継をしていたので
 ヤマハ、ホンダ、カワサキ、スズキといったバイクは無論
 デットヒートの末、日本人レーサーが表彰台に立つのを見る
 のが楽しみでもあった。コカコーラの懸賞で、鈴鹿8耐で
 何度が実際に彼らの走りを見る機会もあり、2002年の
 ホンダチームが表彰台を独占をした年も鈴鹿にいた


 夕焼け雲

 次の年の鈴鹿8耐では、前年度にエドワーズと組んで優勝を
 した彼の姿が無かった。4月の鈴鹿サーキットで開催された
 モトGP第1戦日本GPレース中の事故で、この世を去った
 加藤大治郎。ロッシに挑み名を残してくれると期待のレーサー
 だった。真っ赤なホンダのマシンで鈴鹿8耐を駆け抜けていた
 彼の姿。エンジンの音が今も頭の中に鮮烈によみがえってくる

 3歳の誕生日に両親からポケットバイクをプレゼントをされた
 事がきっかけで、家の近くのサーキット秋ヶ瀬に通っていた

 阿部典史(ノリック)、武田雄一、亀谷長純(従兄弟)といった
 少年たちはここで、サーキットで世界に挑むのを夢見てバイクを
 走らせていた。家の遠い阿倍は、よく加藤の家によく泊めて
 貰っていたそうだ。世界最高峰の舞台に挑み、そして志半ばに
 倒れた二人は、天国でバイクを走らせているのかもしれない

 武田雄一、亀谷長純も今もなお日本で現役レーサーをしている
 きっと子供の頃から、バイク一辺倒。バイクで走らせているのが
 全てなんだろうなぁ~


 奇しくもニュースの特集で、三兄弟でロードレース世界選手権で
 活躍をされていた中の次男、青木拓磨が取り上げられていた。
 テスト走行中の事故で、脊髄損傷により下半身不随となった為
 現役引退となってしまったそうだ

 引退後もレーシングチームの助監督など、モータースポーツに
 常にかかわっていたのだが、彼のレーサー魂はそれに納まらず
 障害者、健常者が、「手動操作の車輌」を使用して、競う
 ハンドドライブ ・クロスに参戦。更には昨年から国際自動車
 連盟公認アジアクロスカントリーラリーにも参戦。いつかは
 過酷なパリ・ダカールラリーにも挑戦をしたいと話されていた



 ノリックは負けず嫌いな少年だったそうだ。一番早く僕が走りたい

 今週末もまた、彼の夢を注いだ少年たちが、サーキット秋ヶ瀬で
 バイクを走らせているのだろう 



  注・ロードレース世界選手権は、2001年まではWGPが
  使われていたが、2002年に旧GP500クラスがMoTo
  GPクラスに改められたのを機に、シリーズ全体の略称にも
  MoToGPが使われるようになった





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最終更新日  2008年10月31日 12時49分08秒
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