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テーマ:生き方上手(688)
カテゴリ:日々の暮らし
25日は、新月でした。
新しい始まり。 お誕生日前日の22日に、知人が亡くなったと知らせを受けた。 一度しかお会いしたことのない方だったが、 最近、具合が悪いと聞いていて、 また、元気になってお会いしたいなぁって、思っていた。 亡くなったと聞いて、さびしく思ったのと同時に、 彼女らしく、精一杯生きて、そして、光の世界に帰って行かれたのだと思った。 お誕生日の前日でしたから、どこか、それは、死と再生を思わせるお知らせだった。 23日のお誕生日に、職場の休憩室に置いてある新聞を偶然、読んで、 4年前の4月25日に起こったJR関西の脱線事故の記事に目がとまった。 事故に巻き込まれて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、 昨年10月に自殺された方の記事だった。 その方の誕生日は、なんと、4月25日だったそうだ。 自分の誕生日に沢山の方がなくなり、 自分はその場に居ながら、生き残ってしまった。 誕生日が祝えない気持ちになられたそうだ。 生きているのか、死んでいるのかわからない、と言った言葉も残されている。 なんとか、生きる喜びを見出そうと、 身の回りの自然の美しさに触れ、好きな映画を見たり、ブログも書かれていたそうだ。 そばについていられたお母さまの言葉に、思わず、泣きそうになってしまった。 「どんなに苦しかっただろう、3年半よく生きた。」 本当に、よく生きたのだと思う。 たとえ、無力感や、虚無感に苦しみ、人生の意味を見いだせなかったとしても、無駄な人生なんてない。 時として、虚無感、無意味感を感じてしまう私に、 誕生日に、この記事を読むことになるなんて。 強烈な誕生日プレゼントだと思えてしまった。 生きよ!!!って言っている。 自分がいかに、自分の人生を粗末に扱っているか、 (不平不満ばかりいっているか。) 命(人生)は、とっても、たくさんの命に支えられていて、 (そして、私が死んだら、他の命を支える大きな流れに戻っていく。) この世界は、こんなにも美しいのに。 もっと、自分を大切にする生き方をしたい、 命を大切にする生き方をしたいって、思った。 だけど、なかなか、そんな風に生きられず、 昨日の惰性のままに生きている自分に、 生まれ変わりたいなぁ~~って、思う。 死は、時には、解放であり、恩恵でもあると思っている。 なぜか、この日の帰り道では、お葬式にまで、で会ってしまった。 折しも、25日は、新月。 お誕生日を過ぎて、 これまでの私の死と、新しい私の誕生を願わずにはいられない。 なんどでも、同じ過ちを繰り返すとしても。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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