ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り
プーチンは病んでいる――この情報を信じたい。
1月7日のクレムリンにあるロシア正教での「クリスマス礼拝」動画を観て、やつれているプーチンの表情、そう感じた。
ウクライナの平和は――ウクライナ全土からロシア軍の完全撤退しかない。ウクライナの主権・領土の完全な回復である。それが出来なければ……世界が無法地帯となるからだ。ウクライナの徹底抗戦は、正しく「自衛の戦い」なのだ。ウクライナを支持できても、プーチン・ロシアには「一切の弁護」の余地はない。日本にウクライナ・ゼレンスキーを批判し、プーチン・ロシアを擁護する輩がいる。これすなわち「売国奴」としか言いようがない! 日本の漁業・エネルギー確保が念頭にあるとはいえ。どうした「北方四島の回復」運動は!
日本国憲法第9条は「日本&世界」守る
アベ治世の間、日本国憲法改悪が進み――骨抜き――戦争のできる憲法違反の法律(安保3法)ができた。岸田自公政権はウクライナの戦争(プーチン・ロシアの侵略侵攻)に乗じて、軍拡増強路線に突入。
がっ!
このままで良いのか!
日本史を見ると、参考例がある。琉球・朝鮮半島・中国大陸への侵略を顧みるまでもなく。
甲斐の武田である。信玄死して武田が滅んだ史実。
私見は、「信玄公の不覚」と思っている。
信玄公の有名な和歌。
『人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり』
つづく――今日中に続きを書く。
現代訳にすれば――
人は、城であり石垣であり堀でもある。
情けをかけることは味方となり、害を与えれば敵となる。
「信玄公の不覚」とは?
成文化し、覇権を競う諸国の棟梁たちに、武田憲法(家訓)を残さなかったことである。
『人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり』
これが武田信玄公の「憲法」前文と言えそう。
あの有名な『風林火山』は、【孫子の兵法・軍争編】を取り入れたものだが、信玄公は「孫子の兵法」を真に理解していた。
「孫子の兵法」は、『兵は詭道なり』――「可能なら外交によって戦争を回避すべき」と言う意味――の言葉から始まる。
*東京に住んでいた頃、何度か甲斐の国・甲府の武田館跡を見に行った。信玄公の秘湯にも。確かに「城」はなかった。これは信じ難いことだった。
今思うと、『人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり』と詠んだ和歌
は、信玄公の思想の根本だった、と思っている。正に信玄公が治める甲斐の国の「憲法前文」だったのだ。戦国の世を生き抜く武田信玄公の「中立的立ち位置」ともとれるが。
残念なことは、死を予期した信玄公が甲斐から打って出たことである。『仇は敵なり』を自ら破ったのだ。息子・勝頼に言い含めても、一度破った勝頼の武田軍は、どうにも止まらなかったのだった。それは中国古代史の諸葛孔明、【孫子の兵法】を書いた本人の生きざまと酷似しているように思える。諸葛死んで蜀滅びる。信玄公死んで甲斐武田滅びる。
おっと!
表題のことは?