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カテゴリ:良寛
出雲崎・光照寺(こうしょうじ)。
手元にある「良寛」の案内書には、このように記されている。 <良寛が18歳で出家した漕洞宗の寺院。入口の階段の右に相馬御風の筆による「良寛禅師剃髪之寺」の石碑がある。良寛はここで4年間修行した後、22歳の時備中(現在の岡山県)玉島、円通寺の国仙和尚と出会い弟子入りして備中へと旅立った。境内には良寛の歌を刻んだ「出家の歌碑」がある。> 出家の理由については推測の域を出ないが、出雲崎の獄門(刑場)で罪人が処刑されているのを見た、という説がある。 名主の職の仕事には、罪人の処刑に立ち会うことがあり名主見習いの栄蔵(良寛)には耐えられなかった、らしい。 光照寺の玄乗(げんじょう)和尚から得度を受け、国仙和尚に従って備中玉島(現在の岡山県倉敷市)の円通寺に行き、修行をする。 郷里の越後に戻ったのは、良寛39歳の時で「一衣一鉢裁か(わずか)に身に随い(したがい)」という詩が残されている。 (持っているものは身につけている「衣」と托鉢のための鉢だけ、という意味) 生まれた出雲崎の実家には戻らず、寺泊の郷本海岸にある「塩たき小屋」に仮住まいをし、托鉢の日々を送る。 現在、この「塩たき小屋」は海岸の浸食により海に没しているが、潮風吹き荒れる暮らしの厳しさを歌った良寛自筆の「傭作」の詩碑がある。 良寛は亡くなるまで、故郷の出雲崎には住まなかった。 撮影 2009年09月19日16時46分 1/100 F4.0 ISO200 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.05 17:58:37
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