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カテゴリ:文化遺産
24日夕、新潟市中央区古町まで出掛けた。
上古町商店街で行われる「明和義人祭」を見るためである。 午前11時からプログラムは組まれているが、当日の日中は日射しが強く暑い。 午後3時過ぎ、出掛ける間際になって電話が鳴る。 困ったもので話は長くなり、予定よりも約2時間後の電車に乗る。 最寄りの駅はJR越後線の白山駅、新潟駅からは一つ隣の駅である。 駅前からは、住宅街の道幅の極端に狭い道を歩く。 前から来る人とのすれ違いさえ、やっとこさ、という道幅しかない。 市庁舎脇、さらに白山公園を抜け15分程でようやく目的の「古町通り」に達する、 入口には明和義人祭の看板が在り、その脇には警備員が自転車は降りて通行すように注意を促す。 着いた時点では陽が沈む時刻で、人通りはほとんど見当たらず、開催日時を間違えたか、と思った。 しかし10分後には、溢れるような人混みとなる。 松明を持った黒装束6名が、通りの中央を走り抜ける。 そして、明和義人行列が始まる。 明和義人とは、江戸幕府の側用人であった田沼意次の時代に新潟湊では、長岡藩の悪政に困窮していた。 明和4(1767年)上納金を要求する同藩に対し、涌井藤四郎は支払いを延期するように求める人たちと会合するが 悪事を働こうとしているとして同藩に察知されることになり、同人らは捕らえられ牢に入れられる。 これに対し民衆は、有力町民や米を買い占めていた米屋を襲い、うちこわしにした(9月26日)。 うちこわしを指揮したのは黒装束の男数名とされる。 奉行所は鎮圧に失敗し、涌井藤四郎らを解放する。 翌日もうちこわしは続き、民衆は奉行所を目指すが、涌井藤四郎は押し止める。 涌井藤四郎を中心とする町民自治は2ヶ月続くもその間、長岡藩は町会所による町政の回復を試みるが失敗。 11月末日、長岡藩は涌井藤四郎らと、うちこわしに関わった岩船屋佐次兵衛を捕らえ、打ち首にする。 首は通りにさらされていたが、涌井藤四郎に恩ある古町芸妓の「お雪」は役人の眼を盗んで首を奪取する。 町民は打ち首は理不尽と捉え、密かに彼らを祀り、この事件を後世に伝えた。 彼らは義人と呼ばれるようになり1928(昭和3)年、白山公園に明和義人之顕彰碑が建立された。 <明和義人祭パンフレットから抜粋> 行列が終わると道路中央の特設会場では、古町芸妓舞が始まり10分間程、踊りを見せていただいた。 さらに、樽砧に合わせた「蜑の手振り(あまのてふり)」という踊りが始まる。 踊り手は、各種専門学校の学生さんたちで、学校別に数十名のグループが踊りながら通りを巡回し、午後8時半過ぎまで続く。 グループ別の最後尾は補給水をカートで運ぶ方も続く。 驚いたことは、カメラを持っていると撮ってくれと言わんばかりに一人がポーズを取ると、即数人集まって来る若い娘さん達のノリの良さには少々ビックリする。 お祭り気分に満ちた若い笑顔が羨ましく感じられる、と同時に感謝の気持ちが溢れてくる。 撮影 2015年08月24日19時36分 1/60 F6.3 ISO1600 新潟市中央区古町 上古町商店街 特設会場 明和義人祭 古町芸妓舞 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.26 16:21:41
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