アメリカン・レトリック
トヨタ車のリコール問題に関して、いまトヨタが何をすべきか、あるアメリカ人からのアドバイス見かけた。Come clean, get all the bad news out, confess to all mistakes past and present, don’t hide the facts, be honest, take the recall hit, don’t pretend there are no problems, apologize, grovel and then create some massive phony campaign promoting safety and good corporate citizenship.きれいさっぱりと悪いニュースはぜんぶ表に出して、過去現在を問わずミスはすべて認めて、なにも隠そうとせず、正直をむねとし、今回のリコールにまつわる痛手を甘受し、問題などどこにもないかのようなふりをせず、謝罪し、ひれ伏し、その後、白々しくはあるが、安全性とトヨタの地域貢献を大々的に宣伝して回ったらいい。この手のアドバイスはよく見かける。サブプライム問題のときも大手金融機関に対する意見として同じようなアドバイスを見かけたし、旧日本軍の残虐行為や戦後処理のあり方についても似たようなアドバイスをするアメリカ人がいる。ただこのアドバイスは、つねに他人の失態に対するアドバイスであって、自分自身のしでかした失態となればうってかわって「ミスはすべて認め」るどころか最後の最後まで争おうとするのが一般的、常識的なアメリカ人である。それでもなおアメリカ人はこういう言い回しが大好きだ。キリスト教の伝統、とくにプロテスタント、ピューリタンの伝統に根を持つ潔癖好みだろうが、その昔、新大陸に神の地を創ると本気で考え、その思いだけで大西洋を渡ってしまった人たちの末裔(まつえい)だからしょうがない。今日においてもアメリカには、日本的感覚からは想像しがたい精神世界が広がっていて、今でも人口の5割くらいは毎週日曜の午前中は教会で時を過ごしているはずだ。いわゆる「壁の内側」、世俗とは隔絶された信仰の世界に身をおかないと安心できない人たちなのである。そういう精神構造をもつアメリカ人にたいし、豊田社長は連邦議会公聴会の場でどう話しかけるだろうか。彼は明らかにトップダウン、リーダーシップ型の経営者ではなく、まとめ役タイプの日本型リーダーのようだから、「お客様第一の精神をモットーに、全社全従業員、一致結束して信頼回復に向けて努力してまいりたい。」というレトリックとしては何の役にも立たない覚悟の表明に終始し、あとはトヨタ・アメリカの社長が質問に答えるのではないかと思う。しかし、かりに豊田社長の発言が高く評価されなくとも、今回の世界にまたがる大規模リコールをスムーズに、顧客を待たせることなくやってのけ、「さすがはトヨタ」と世界に言わしむるならば、トヨタへの信頼がかえって高まることも考えられる。大企業トップによる国際的メディアをつうじた説明、語りかけよりも、末端の従業員たちによる顧客接近戦、草の根のディーラーや営業担当者やメカニックによる手堅い顧客対応、スムーズな修理、対面による誠実なコミュニケーションのほうが何倍も説得力、口コミ効果を生むかもしれない。レトリックか接近戦か。どちらがより効果的なのか。一人の学習者としてトヨタの修羅場を見守りたい。ちなみに上の英文は頭に入れておくといい。連邦議会だろうが、報道だろうが、評論家だろうが、誰が出てきても言うことはだいたいこの英文の言い換えに過ぎないのだから。余談だが「レトリック rhetoric」という言葉について一言。いろんな人がいろんな意味で使う単語だから、ボクはどういう意味として使ったか書いておいたほうがいいと思う。あるメッセージを伝えるときに、同じ内容を伝えるにしても(たとえば「英語の習得は大切だ」というメッセージ)、小学生に伝えるときと、プロ野球選手に伝えるときと、ビジネスマンに伝える場合とでは、言葉の選び方、説明のしかたはとうぜん変わってくる。変えなければならない。野球選手にはメジャーリーグの話を持ち出せば話を聞いてもらいやすくなるだろうが、小学生にメジャーの話をしても関心を持ってもらえるとは限らない。だからオーディエンスごとに言葉を選ばなければならない。ボクはこの言葉選びをレトリックだと理解し、そのように使っている。