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カテゴリ:現実
人と精霊が共存する世界、ポリフォニカ。
人は肉体を、精霊は精神を拠り所とする別の生き物である。 ゆえに人は精霊の姿を見ることができず、また精霊も人に干渉する ことなく、同じ大地に在りつつもお互い別個の道を歩んでいた。 --神曲の使い手たる神曲楽士が現れるまでは。 神曲。 演奏者の性格、信念、意志を映した曲。 その人の魂の形とも言われている。 精霊にとって神曲は悦楽であり、快楽である。 それは精霊を惹きつけて止まない"麻薬"でもある。 精霊はこの麻薬を求めて神曲楽士と契約を結ぶ。 そして契約を結んだ精霊はパートナーの神曲を聴くことで トランス状態になり、強大な力を振るうことができる。 神曲楽士は契約精霊に神曲を奏でることと引き替えに、 この強大な力を己が思うままに行使させるのだ。 ただし精霊契約を結ぶことは、精霊にとってよいことばかりではない。 契約精霊にとって神曲は力の源であると同時に麻薬でもある。 だから定期的に神曲が供給されなければ精霊は暴走し、存在が消滅 してしまうこともある。 ではなぜ、かようなリスクを冒してまで精霊は契約を結ぼうとするのか。 その答えは、タタラ・フォロンとその契約精霊・コーティカルテの関係に あった。 二重の断絶 かつてコーティは<嘆きの異邦人>と組んで、テロリズムの先導に 立ったことがあった。コーティ自身はそのことを後悔しており、また 当時のコーティの契約楽士の方針に従っていたという理由はあるが、 だからといって許されざるものではない。 数多くの無辜の民が傷付き、息絶えていった。ペルセルテとプリネシカも <嘆きの異邦人>によるテロに巻き込まれて重傷を負った。 コーティの悲痛な告白により、フォロンは過去のコーティを知ることになる。 だがフォロンは、それを聞いてなお力強くコーティを支え続ける。 コーティカルテ。僕が、君の側に居てあげる。 フォロンにとって、過去のコーティは関係がなかった。 今目の前にいるコーティこそが自分にとって全て。 親に捨てられ、孤児院では要領の悪さからいじめられ、誰からも 必要とされない自分を初めて必要としてくれたのはコーティだった。 共に生きる喜びを教えてくれたのはコーティだった。 毎朝卵焼きサンドを作らないと怒るし、ペルセルテとは顔を合わせる度に 喧嘩するし、挙げ句学校では度々トラブルを起こして迷惑を掛けるし-- そんな横暴で、我が侭で、かなりの焼きもち焼きなコーティのことを フォロンは好きだった。......おそらく彼自身はそのように意識してないが。 フォロンとコーティは、人間と精霊、過去と現在という二重の断絶を 乗り越えて結ばれている。お互いを信じ、愛している。 俺はここに、人間と精霊の関わり方のヒントがあると見ている。 結局人間と精霊の区別は本質的には意味を成さず、自分と他人という 区別をするしかない。隣にいるのが人間だろうと精霊だろうと変わらない ということだ。自分のことは自分にしか分からないし、他人のことなんて 当然分かるはずもない。それでも社会性を有する人間たちは寄り添って 生きていこうとする。 同様にして精霊も、神曲を媒介として人間に近づく。 よりよき隣人として、友人として、あるいは恋人として。 それは一人で生きていくよりはずっと楽しいから。 自分が居て。他人が居て。互いに関わって。
あー これいい早く4月なってほしいなー くりむそん・S? くりむぞん・S? どっちだったかは忘れたが早く観たいなー
いやぁ本当ぐっずとかたくさんほしいわけですよ 抱き枕かばーほしいいいいいいいいいい
ここらでのしー
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最終更新日
2009.03.23 04:25:20
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