テーマ:水泳(1790)
カテゴリ:スポーツ
今月10日に世界新記録を出した入江陵介の来ていた水着が、
国際水連に認められなかった。 マスコミを含め、日本水連は「せっかく世界新記録で泳いだのに、記録を認めないなんて『国際水連』はなんてひどいんだ、入江君がかわいそう」と言った内容。 さらに「日本記録としては認めるが、世界記録にはならない」の妙な日本水連の決定。 そして、6月1日からは、国際水連が認めた水着でなければ記録として公認しない。 結局、この問題は2転3転して、落ち着いたように見える。 しかし、問題の根底は何1つ解決されていない。 2007年、スピード社は国際水連と組んで、「水着のレギュレーション」に1行付け加えている。 このとこにより、日本のメーカーが違反と思っていたスピード社の水着はレギュレーション内の水着となった。 残念ながら、この時日本水連は何の情報も得ていないし、新たに付け加えられた1行にどんな意図があるのかも理解しようとしなかった。 そして、「I'm the swimmer」発言まで引き起こした国内での水着騒動。 日本水連は、世界水連の定めたレギュレーションの中で、それぞれの選手が最も速く泳げる水着をさがし、提供できる環境を作るのが仕事ではないのか? ただただ「水着なんて何でも良い、速く泳げば良いんだ」では、 「日本水連は何をしている団体だ?」と言われてもしょうがないだろう。 入江君は「認められなかったらもう一度世界記録で泳ぎます」と明言したが、 同じ過ちを2度も起こし、それを認めない日本水連は、 古橋名誉会長の「ふんどしで泳いでいた時代」から脱却できていない。 「世界水泳」の放映権が欲しいテレビ局も、強く批判できないのが事実だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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