季節風にのって
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south shore
男の子3人の子育てをしていたら40代ももう半ばを過ぎてしまいました。大好きなハワイから帰ってきたらすっかりハワイシック!!そうだ!ブログとやらを作ってみよう!そんなスタートです。少しづつレベルアップしていけたらと思ってます。
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少し見ているとたぶんここを手入れなさっている方のお一人で、白人の60代くらい女性が声をかけて下さいました。英語なので全部は聞き取れませんでしたが、『ここは昔、とても栄えた漁業の村で、豚も飼っていた。それをアメリカの資本のお陰で、こんな住宅地になってしまった。元の住民はタダ同然で土地を取られてしまい、ここに残っている人はいない・・・村がそっくりなくなってしまった。』と仰ってました。ハワイの事を知ろうと、奥を覗こうとすると、必ずハワイアンとアメリカ人のこういう確執に当たってしまいます。車に戻ると、そんな話になり、ジョンさんが最近読まれたアイヌの女性の本のお話をして下さり、ジョンさん、博学だなぁと感心!本の名前も教えて頂いてきましたが、帰国後は忙殺されているためまだ読めていません 次に行ったのはケアイヴァ・ヘイアウ。
ヒーリングを行うカフナが使っていたヘイアウです。周囲で育てられたハーブを使って様々なヒーリングが行われたようです。 ここからは、私の感じたことですが、ここは、なんともいえない気の流れがあり、そこの渦になっている部分を通り過ぎるとタイムスリップをしたような感覚に囚われます。またまた不思議発言ですが私たちのことを気にするでもなく、淡々と立ち働く白い装束のハワイアンを至る所に感じました。それは、たぶんここのヘイアウで働いていた方だと思います。
厳粛だけれども繊細な場所。ユーカリの香りが立ち込めていました。心を開いてくれたマナたちにお礼を言ってケアイヴァ・ヘイアウを後にしました。 次に向かったのは西の方です。ジョンさんのはからいでマカハの山側にあるカーネアキ・ヘイアウに寄って下さることになりました。ここは高級住宅地の奥にあり、守衛さんのいるゲートを通らないといけません。ジョンさんが入れてくれるように頼んで下さいましたが、あいにく土砂崩れで、2か月クローズしているとのことでした。現存しているオアフのヘイアウの中では最も大規模と聞いていたので残念に思いましたが、また今度。。。ということでしょうか? 途中、ジョンさんお勧めのランチプレート屋さんで食事を買いました。私が感じただけかもしれませんが、超アウェイ写真を撮るとかそういう雰囲気でもなく、注文したものが出来上がって呼ばれた時はほっとしました。 今度はマカハの海側クーイーリオロワ・ヘイアウに向かいます。カーネーイリオ岬の一部、ポー・カイ・ベイビーチパークの手前にあります。
車を停めて、まずはお昼ご飯!その前にトイレに行くことになり、ロコの間を通るとまたまた超アウェイな視線『ジャッパニーズ』という声も聞こえてきます。来ちゃいけない所に来ちゃったかな第一、今日は土曜日でも日曜日でもないのになんでいい大人がこんなに居るんだぁ?普通じゃないよねえ 早々にご飯を食べ、ジョンさんが『ヘイアウには、私はご一緒しなくていいですか?車から目を離せないんですよ。なんせここはマカハですから。』って言うんです。え~!そんなに治安悪いんだぁ!!!30年前、ハレイワのほうが天気が悪そうだとよくマカハに来ていたんですよ。若かったせいか気になりませんでしたね。荷物を車に置きっぱなしにはできないというくらいで。 じゃ、頼りにならない男子に近くまで来てもらうかっってことで、岬の突端に向かって歩き出しました。2~3分の距離です。着いて目を瞑ると、え~!やな感じ深く感じようとしてみると、ヘイアウそのものの気は悪くはないけど弱いかも・・・でもこの海から押し寄せてくるような邪気は何だぁ思わず目をあけると、まず目に飛び込んできたのは日本の女の方の名前を記した墓標散骨の墓地になってるんだぁ ここは無理!写真を撮って早々に引き揚げようとすると、カメラが壊れてる!!!!モニターがシマシマ電池を入れなおしたら復活しましたが・・・ ウルポーの時も2台のうちの1台のカメラが壊れたんです。その時はモニターが真っ黒になり光の玉見たいのが左上に出て動かずその時も電池の入れ替えで復活しました。なんなんだろうなぁ!歓迎されてないのかなぁ?長居は無用車に戻って今度はノースの方へ向かいます。途中、曙さんの銅像、小錦さんの豪邸 、