季節風にのって
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男の子3人の子育てをしていたら40代ももう半ばを過ぎてしまいました。大好きなハワイから帰ってきたらすっかりハワイシック!!そうだ!ブログとやらを作ってみよう!そんなスタートです。少しづつレベルアップしていけたらと思ってます。
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この間からブログに書いていました ジェノア・ケアヴェさんの記事を書き始めたいと思います。 この動画は、アンティの代表曲の一つパパリナ・ラヒラヒです。 経歴を調べて私なりにまとめましたので、 アンティを偲んで歌声を聴きながら 読んでいただけたら幸いです。 ポチっとしていただくとU tubeに飛びます
Genoa Leilani Keawe (1918年10月31日 - 2008年2月25日) 経歴 オアフ島、カカアコに生まれ、ライエで幼少期を過ごす。 小さい頃から歌う事が大好きな少女で12歳からはモルモン教徒教会の聖歌隊に所属する。 1935年に、故エドワードプニワイケアウェ-・アイコと結婚し12人の子どもをもうける。 プロとしての始まりは1939年、ジョージ・ホオカノと彼のバンドとともに歌った カイルアにあるキオスクショークラブ、軍の役員クラブからだった。 ラジオで彼女の歌が流れ、有名になってからでも歌で生計を立てるのは難しく レイを売ったり、タクシーの運転手をしていた時期もあった。 その後、テレビに定期的に出演、人気ラジオ番組「ハワイコールズ」にも数多く出演。 ハワイのネイティブスピーカーの義母を通して言語を習い、保存していく事を誇りにし、 数多くのハワイアン歌手同様、耳からハワイアンを覚えたと思われるが その言語に対する姿勢が、数多くの幅広いレパートリーを残したと思われる。 ジェノヴァケアウェレコードを、彼女の家族や友人の音楽彼女の音楽を記録するために設立。 20枚のアルバムと150枚ものシングル版を世に残した。 有名になってからも、積極的に活動し、世界中を旅して歌い、日本を訪れる事もしばしばあった。 またハワイでもたくさんのステージを精力的に行った。 後進の指導にも熱心で、数多くの著名なソプラノ歌手の指導をしたという逸話が、 いくつも残っている。 2005年、功績を認められ、ハワイ大学から名誉博士号を受ける。 亡くなる直前まで数多くのステージで歌い続けていたが 2008年2月25日、パパコレアの自宅にて永眠。 英語力のない私が何日かかかって調べられたのはここまででした。 徐々に肉付けをしていくつもりですが間違いや追記する事、教えていただいて ウィキペディアではありませんが、 アンティに近づいて行けたらいいなぁと思っています。 どうぞご協力ください。
ハワイアンソングを習ってもう3年(まだ3年?)を過ぎているのに、 ほんとうに恥ずかしいお話ですが、私は、この記事を書こうと思うまで ハワイアンの偉大なシンガーアンティ・ジェノア・ケアヴェの事をあまり良く知りませんでした。 その方の事を知ろうと思ったきっかけは、 皆さんに何度も読んでいただいていると思います。 私が大好きなハワイアンバンドShell Lei Hawaiiansの小澤さんと出会ったことでした。 Shell Lei Hawaiiansの演奏を初めて聴いて大感激した私が 「ブログに書かせていただいていいですか?」と伺い、 それを喜んでくださった(大人の方なので喜んで見せてくださってるんですが) Shell Lei Hawaiiansの方たちと少しずつ親しくなりました。 といっても、あちらはステージの上の方たちです。 ゆっくりお話ができたのは小澤さんがワイキキ最後の夜に私を誘ってくださった時でした。 同じテーブルに小澤さんと唐沢さんがいらして、 ワイキキが閉店じゃなければほんとうに夢のような時間でした。 その時小澤さんが少しだけジェノアさんのお話をしてくださったんです。 その後、ワイキキは閉店。(ちょっとだけでしたが・・・) 私は完全に目標を見失っていました。 自分でもおかしい位何やってるんだかわからない行動をしていました。 ブログもやめてしまおうと思っていました。 パパとの週末遠足にカフェ・マノアに伺った時 そこが偶然小澤さんの行きつけのお店で、 そこの奥様から、ジェノアさんと小澤さんのお話が出たとき 「これかも」って何か思うものがありました。 すぐ「小澤さぁん!今、カフェ・マノアに居るんですよ~!」とメールをしましたら 暫くすると「今、○×▲園で、山さんとか、 ○X▲川さんとか○×▲部さんとかの前で歌ってましたよ!」とメールが入りました。 Shell Lei Hawaiiansの方たちは失礼ですが私より一回りくらい上の方たちです。 ワイキキの閉店だって、私なんか以上に残念なはずです。 でもこうやって、立派にステージをなさってる。 私は何をやっていたんだろう!とすんごい遅まきながら我に返りました。 その時、私は自分らしいブログを書いていこう。 Shell Lei Hawaiiansの方たちが演奏なさっている限り、私は追っかけ続け、 演奏を拙いブログで紹介させていただこうと思いました。 そしてこれは私にできるかどうかわかりませんが、小澤さんにお話を伺いながら アンティ・ジェノア・ケアヴェの事を書かせていただこうかと思うようになりました。 お世話になったお返しじゃなくて、またお世話になるんかい!っていうお話ですが、 そこはそれ、私ですから この後、小澤さんとの思い出や、彼女の病気との闘いのこと また、ハワイに行ったらその時に調べられた事。 ゆっくりと書いていきたいと思います。