季節風にのって
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south shore
男の子3人の子育てをしていたら40代ももう半ばを過ぎてしまいました。大好きなハワイから帰ってきたらすっかりハワイシック!!そうだ!ブログとやらを作ってみよう!そんなスタートです。少しづつレベルアップしていけたらと思ってます。
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Genoa Keaveさんの記事を書くきっかけは何度も書いているように Shell Lei Hawaiiansの小澤さんから戴いたものです。 5/29Cafe Manoa204で行われたライブの後、お話を伺うところから始まりました。 それまで、私なりにですが、ネットでケアヴェさんの事を調べたり ハワイアンの先輩生徒さんにお話を伺ったりして ものすごいドキドキしながらインタビューに臨みました。 2時間以上のステージを終えられて、お疲れだったはずなのに ほんとうに嫌なお顔一つせずお話をしてくださいました。 「アンティは僕にとってハワイそのものなんです・・・」 という言葉から始まりました。 S「ケアヴェさんとの出会いを教えてください。」 O「1983年、ケアヴェさんが日本に見えた時、 僕の大恩人にお世話を頼まれたのがきっかけでした。 その時僕は家の事業に携わっていましたが 若かったんですね、これは絶対にやらなければ! と思って仕事、放り出しました。」 S「どんなお世話をなさったんですか?」 O「車の運転、食事の手配8泊10日、 すべてのスケジュールのお世話をしましたね。」 S「小澤さんは英語が堪能でいらっしゃるんですか?」 O「いえいえ、だめだったんですよ。ただ何ていうんでしょうね。 何も言葉を交わさなくても、わかり合えるものがあったんですよ。」 S「それは、何か前世からのご縁を感じたとか? (と、不思議おばさん炸裂か???)」 O「いえいえ、まったく違いますね。無なんですよ。 まるで無の魂と魂がそこでぶつかったような。」 小澤さんのこの言葉は、私にとってほんとうに衝撃的でした。 今まで準備していたすべての質問が空虚で安っぽいものに思えて 何も言葉が出てこなくなってしまいました。 小澤さんには失礼だったかもしれないんですが この後は、小澤さんに自由にお話いただこう、 私なんかが奇を衒った様な質問をすることではないんだ! 小澤さんがケアヴェさんのお写真を ほんとうにいとおしいお顔をしながらご覧になってます。 「アンティが亡くなってから、初めて見ますよ。 southshoreさんが僕の古い思い出を 日の当たるところに出してくれたんですよ。」と・・・ 私はその時、自分が小澤さんのとても大切な部分に 入り込んでしまったのに気づきました。 自分で、お話を伺いたいと持ちかけながら、「どうしよう!」と思いました。 頭の中に「どうしよう!どうしよう!どうしよう!・・・・・」が渦巻いてます。 でも、もう後戻りはできませんでした。 こうなったら、少しずつでもいいからお話を伺って、 私にできる範囲で書かせていただこう! 何も質問が出てこなくなっている私の事を 小澤さんが気遣ってくださって色紙を見せてくださいます。 「これはね、アンティが僕に言葉を残したいからって 色紙を買ってくるように言ってくれたんですよ。 浅草まで色紙を買いに行って帰ってくると これを書いてくれましてね。 僕は当時よく英語が理解できなかったんですが できる奴に聞いたら、凄い事が書いてあるよ!って。」 またまたsouthshoreのへたっぴ和訳ですが・・・・ 心から愛を込めて、決して忘れない 親愛なるわが息子へ とても素晴らしい時でした。 私にとってここは紳士的な、楽しい場所でした。 -----------愛しています----------- いつもあらゆることで、あなたは自分を褒めていいわ。 いっぱいの愛を、心を込めて。 私の息子、ヤスノブ・オザワ ママと呼んでね ジェノア・ケアヴェ 凄い信頼関係ですね。 小澤さんも、ケアヴェさんの事を母のような存在と言っていらっしゃいます。 「ジェノアのハグはね、抱き合うだけじゃないんですよ。 頬と頬をくっつけてね。 その時はジェノアの大きさに、まるで母に抱かれた気持ちになりましたよ。」 そして、こうも言っていらっしゃいました。 「いつもハグしてもらうのは、僕が一番最後なんですよ。 僕の勝手な解釈かもしれないけど、必ずお互いを見詰め合って・・・ ジェノアにとっても、僕への特別な思いが伝わってくるんですよ。」 「ジェノアはね、ステージに上がるとものすごい方なんですがね 家に戻って、部屋着に着替えられると、 割烹着が似合いそうな普通のおばさんなんですよ。」 この時はジェノアさんをお呼びした方のご自宅に寝泊りされ ハイヤーなども使わず小澤さんがボランティアで運転手をなさり その浮いたお金と、主催なさった方の大切なマーチンのウクレレを ジェノアさんが帰られる時に差し上げたそうです。 最初は拒んでいらしたようですが、 皆さんのお気持ちが伝わったんでしょう。 とてもとても喜ばれて帰られたそうです。 その後小澤さんがハワイに行かれると 喜んで駆けつけていらして楽しくお食事などをされたそうです。 その時のケアヴェさんと小澤さんの笑顔のお写真を拝見するだけで お2人の再会の喜びが伝わって来ました。 小澤さんのほかのお写真、 ハワイアンミュージックの神様みたいな方たちが たくさん写っていらっしゃいます。 小澤さんって、改めてすごい方なんだなぁと思わずには居られませんが でもどなたとお知り合いじゃなくてもその実力とお人柄に大尊敬の 私の大切な方です。 取材をさせていただいたお礼のメールのお返事です。 「私の古い思い出に日を当ててくださってありがとう。 southshoreさんのお陰で、 忘れかけていたハワイアンを歌うときの心を目覚めさせていただきました。 アンティが言ってました。上手く歌わなくてもいい。 ほんとにハワイアンが好きなら その心が歌に乗り移るからって。」 こんな素敵な方です、小澤さん。 私はお話を伺ってみて、私はケアヴェさんという偉大なシンガーとともに 小澤さんのハワイアンを伺いたかったのではないかと・・・ 私もこの大先輩の後を 一生懸命に勉強しながら少しずつ付いて行こうと思いました。 まだお知り合いになって半年くらいの私に、ここまで胸襟を開いて ALOHAなお気持ちを下さった小澤さんを心から尊敬し お礼申し上げたいと思います。 BIG MAHALO !!!