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居心地屋やまぢ 女将のブログ

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Soyumi

Soyumi

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2006年09月04日
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カテゴリ:家族
キャンプ開けの朝、前日の残りを使って野菜スープとご飯で朝食をとりました。
10時頃、片づけを終えて解散。

私たち家族は、せっかく日向まで来たのだからちょっとドライブをすることにしました。
実は、主人は新しい食材を求めて、行きたいところがあったようです。




向かったのは椎葉村

椎葉村 地図

なんと、日向から2時間くらいかかる山の中です。
熊本の方が近いのです。

1日に1本通っているバスを使うと、宮崎まで5時間かかるそうです。
(こんな道、バスが通るのびっくりとびっくりするような狭い道を、バスが通っていました。すれ違えません。。。)



椎葉村は、昨年の台風でかなり被害を受けたようです。

鶴富屋敷のそば

椎葉旅館

この、土砂で壊れてしまった椎葉旅館の2件隣に、小さなお土産屋さんがありました。

椎葉村地場産品開発株式会社と言う名前のお土産屋さんです。

とても気さくで、親切なおばさまがいて、色々と話をしてくださいました。
また、ここでは食事もできましたので、私たちはおそばをいただきました。

とろろそば
ひじょう~に、美味でした大笑い
食べかけの画像で申し訳ありませんしょんぼり

ざるそば
すみません、こちらも食べかけです・・・失敗


サービスで、裏で取れたというむかごご飯もいただきました!!!! 
むかごご飯



お腹いっぱいになったので、鶴富屋敷民俗芸能博物館に行きました。


那須大八郎と鶴富姫の恋物語
 今から、八百年ほど前のことです。
 今の山口県下関の壇ノ浦(だんのうら)では、平家(へいけ)と源氏(げんじ)の最後の戦いがくり広げられました。
 はげしい戦いの末に平家は敗れ、生きながらえた者は、散り散りばらばらになって、逃げていきました。そして、ある一行は、けわしい山を越え、道なき道を通って、ようやく山深い椎葉にたどり着きました。
 「ここまでくれば大丈夫だ。敵もこんな山奥までは追いかけてこないだろう」
 平家の一行は、ほっと胸をなでおろしました。
 しかし、人のうわさは速く伝わるものです。
 いつしかこのことは敵方に知れわたることとなり、源氏の総大将、源頼朝(みなもとのよりとも)は、家来の那須与一(なすのよいち)に追い討(う)ちを命じました。
 ところが、与一はこのとき病気にかかっていたので、代わりに弟の大八郎が椎葉に向かいました。

 しばらくして、ようやく椎葉にたどりついた大八郎でしたが、そこで目にしたものは…、戦う気持ちを忘れたかのように一心に畑をたがやす平家の人々でした。
 「ここにいる者たちは、もはや源氏に対する憎(にく)しみや敵意などもっていない」
 そう感じた大八郎は、
 「椎葉の平家の残党(ざんとう)は一人残らず討ち果たしました」
と、頼朝にうその報告をした後、この地に屋敷(やしき)を建て、これからもこの場所で生活していこうと決めたのでした。
 それからというもの、大八郎は、平家の守り神をまつる神社を建てたり、平家の人々に農業を教えたりと、彼らの生活を助けながら、ともにくらしていました。
 その後、しばらくして大八郎は平家の「鶴富」という名の美しい姫と出会いました。静かな山里で親しく話をするうちに二人の間に恋心がめばえました。
 しかし、二人は源氏と平家のかたき同士です。
 最初、二人は人目をさけて会っていましたが、そのうちに大八郎は愛する鶴富姫と生涯(しょうがい)をともにすることを決めました。二人の結婚を村中が祝福しました。


しかし、幸せな日々は長く続きませんでした。
 ある日のこと、大八郎に、
 「すぐに椎葉を離(はな)れ、戻ってくるように」
との命令がおりたのです。
 そのとき、すでに鶴富姫のお腹(なか)の中には大八郎の子がやどっていました。
 しかし、命令ですから大八郎はもどらなければなりません。
 いよいよ椎葉の地を離れる日がきました。
 大八郎は鶴富姫に向かって、
 「とうとう、この日がきてしまった。おまえのお腹の子は確かに私の子だ。もし、生まれてくる子が男の子なら、私のふるさとによこしなさい。もし、女の子ならこの地で育てるがよい」
と言い残すと、親と子の証拠の品として、刀を与えました。
 大八郎が椎葉の地を離れた後に、鶴富姫は出産しました。生まれた子は女の子でした。
 母となった鶴富姫はその子を大切に育て、その子が成長すると婿(むこ)を取りました。
 そして、愛してやまない大八郎の「那須」の姓を名乗らせたといいます。

   ひむか神話街道:50の物語集よりコピペ





宮崎本店の近くに『鶴富屋敷』と言う名前のソープランドがあります。
この日は、本当の『鶴富屋敷』に行ってみることにしました。



民俗芸能博物館で見た、面白いもの。。。
アンコ

お正月に飾るという、餡子で作った仏様だそうです。

。。。。。。。。チ、チ、チカラ太郎みたい。。。。。。。。。。。




椎葉は、民俗学発祥の地だそうです。
かの有名な柳田国男も、この山奥の地を訪れたそうです。



へええええぇぇぇぇ。。。。知らなかった。。。。



そして、この博物館から出た所に、厳島神社がありました。

博物館から出たところ

広島にある、あの厳島神社です。
厳島神社って、平家を祀る神社だったそうです。。。。私は知りませんでした。。。

厳島神社
椎葉の厳島神社は、とっても小さくてかわいかったです。


こんなものを見つけて、子供たちは喜んでいました。

ムカデ



鶴富屋敷は、国の重要文化財だそうです。
建物は藤原期の寝殿造りで、椎葉の代表的な民家だそうです。
玄関がなく、4つの部屋と土間が横に並んでいる造りでした。

屋敷は観光用に整備されていて、鶴富姫の子孫の那須さん一家は隣に家を建てて住んでいらっしゃるようでした。

 
商工会議所が近くにあったので、この辺りの特産物を業務用に取り扱っている所はないか聞いてみると、なんと最初に行った椎葉村地場産品開発株式会社を紹介されました。

またそこに舞い戻って、社長さんと商談(???雑談??)をして終わりました。


次は、西米良へ!!!!


向かったのはいいけれど、やはり去年の台風のため、通行止めばかりで行き着くことができず・・・

もと来た道を引き返しました。。。。



帰りに見たつり橋

つり橋

アップでそうぞ。

つり橋 アップ

台風のためにこんな風になったのでしょうか・・・??

怖くて渡れないつり橋でした。











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最終更新日  2006年09月10日 00時28分16秒
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