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香港発 082惣菜有限公司 社長の日報 Ver.2 

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2007年12月07日
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私は社会人なってから、逃げて、捨てられ、そこから救われの繰り返し。



日本で会社に入った。

順調に昇進し、最後香港の所長職まで行き着いた。

しかし1年4ヶ月での帰任命令。行き先は駄目所長の”姥捨て山”特販部。(捨てられた)

辞表出した。(逃げた)

友人が「香港で先どうするの?決まってないならここ面接行けば?俺は断ったけど」。面接を受けた。採用してくれた。駐在と変わらない給料で。(救われた)

嫌な上司だった。「この営業成績で俺は今すぐにでもお前を首にしたいけど社長がまだお前を信任してるから」(救われた)

日本の親会社がやばくなった(結局飛んだ)。辞表を出した。(逃げた)

ソフトボールの仲間であるレストラングループの故会長から「うちに来れば?食品ビジネスの知識あるんでしょ?給料も前の会社と同じでいいよ」(救われた)

サプライヤー部門の責任者になった。財務内容はかなりの赤字。債務も膨れ上がっていた。手が付けられない状態。辞表を出した。故会長「得意の惣菜の方に専念してくれないか。辛いみたいだし。」(逃げた、救われた)

全ての会社の舵取りをしていたグループ会長が他界した。「これからどうするか。。。」 故会長の息子「お互い助け合う為にも、いっしょに事務所を立ち上げませんか?」(救われた)

独立したというより、させてもらった。でもうまくいかなかった。借金が膨れ上がった。故会長の息子から無利子無期限でお金を借りた。それも限界に達した。故会長の息子「私のハンバック工場を手伝ってくれますか。給与はちゃんと補償しますから」 (救われた)

故会長の息子の工場も大変だった。資金繰りに悩む毎日が続く。「食品、レストランの仕事に戻りたい」そんな気持ちがある中で仕事の失敗も続いた。約HK$30万の損失をだした。「食で儲け、食で活路を見出すのが俺じゃないのか」。。。故会長の息子に申し出た「食の仕事に戻りたい」。。。「あなたの意向に副いましょう」(逃げた)

ラーメン屋のコンサルタントと惣菜の仕事に戻った。お店の人は歓迎してくれた。しかし、新しいラーメン屋の社長(香港人)は故会長とは違う。センチメンタルな部分はあるなかで事業に対してはドライ過ぎるほどドライだった。典型的な香港の社長でありインベスターだ。「あいつにはもう、うちで養うようなお金は1ドルも出せない。意味も理由もない」(捨てられた)

ラーメン屋はコンサルタント費用としては私の会社に破格のお金を払ってくれていた。私はそれに甘えていた。何かに立ち向かう、取り組む事に逃げていた。故会長の息子「私があなたの会社の事業を行う事を申し出ます。新社長と故会長は親友。私はその息子。必ずOKでしょう。その利益をあなたにまた無利子無期限で貸します。でも半年で何とかして下さい」 (逃げた、救われた)

ラーメン屋本店の店長(香港人)から電話があった。「社長はあなたの会社との契約を今月で解除すると言っていましたが猛反対しました。たぶん後1年は契約は継続です。1号店の私の店はもう12年。そのうちの半分以上の7年はいっしょに苦労して頑張ったあなたは仲間じゃないですか。仲間という右のポケットのお金が重くなったから、左のポケットにお金を動かすだけですよ。●×店の店長さんも猛反対したんですよ」
●×店の店長(も香港人)は、私が香港で初めてお店を探すところからスタートし立ち上げるまでをやったお店の店長である。施工業者、大家ともめて一時は工事ストップ。クリスマスイブの午前中に現場を施工業者からハンドオーバーし午後になんとか開店。店長に引き渡した。彼はそのときの事をきちんと憶えてくれている。(救われた)

香港に来てチャンスはいっぱい転がっていた。しかしつかみ損ねた。逆境に逃げていた。そのたびに助けてもらった。私を本当に思ってくれ助けてくれた人、人、人。。。。思い出せる人の顔の全てが私の頭をよぎった。本店の店長の電話を受けた深夜のバス停で暫し呆然となり涙が出た。


「もう助けは要らない!明日からは今度は私がみんなに恩返しをする番だ」






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最終更新日  2007年12月08日 23時52分17秒
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