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原作を読んで思ったことと、
ドラマを見続けて感じたことが、 今夜初めて、ようやく同じ場所に辿り着きました。 それは、笹垣に対する祈りのような気持ち。 どうか、もうこれ以上、二人を追いかけないで、そっとしてあげて。 いえ、どうか早く捕まえて、もうこれ以上、二人に罪を重ねさせないであげて。 笹垣が真実に迫れば迫るほど、 この相反する気持ちの間で揺れてしまう・・・。 気が付けば、この暗く長く悲しい物語の中にあって、 笹垣の執念と良心こそが、私たちのゆるぎない道しるべだったように思います。 白夜を彷徨う二人とも、遡れば、涙を誘う生い立ちではあります。 どうにかしてやれなかったのかと、悔やむのももっともです。 しかし、同情してはいけない、同化してはいけない。 悪いものは悪いし、罪は罪なのです。 小説を読んでいる時も、そうでした。 つい、亮司に肩入れしたくなる自分がいて。 でも、笹垣が登場する度に、真実を見守る目を曇らせてはいけないことを、 救いたいからこそ裁かなければいけないことを、思い知らされました。 笹垣は、敵(かたき)役では、ないのです。 まだほんの小さく、どう生きていいのかわからなかった二人の背中を、 ずっとずっと追いかけて、見つめてきたたった一人のひと。 例えて言うなら、道に迷って立ち尽くす旅人を静かに導く北極星のような。 笹垣こそ、二人にいちばん必要だった、「父性」の象徴なのかもしれません。 白夜のまやかしの光の下、ぬるんだ泥水に息を潜めて棲みつく、亮司と雪穂。 そのふたりの首根っこをつかまえて、文字通り白日の下に引きずり出せるのは 笹垣をおいて他には有り得ない・・・。 それはある意味で「愛情」と呼べるのではないでしょうか。 亮司もそれを感じたからこそ、青酸カリ中毒ではなく、 血と肉を伴う「リアルな」死を、敢えて笹垣に報いようとした・・・。 「殺す痛み」を感じることが、亮司のせめてもの贖罪ということでしょうか。 悲しいですね。 そうそう、原作もそうだったのですが、笹垣は、図書館の司書さんの証言で 亮司と雪穂の子供の頃の接点や、のどかな交流の様子を知るに至ります。 原作ではほんの数行登場するだけの、この司書さんの描き方が 今更ですが、見事ですね。 子供時代の亮司と雪穂を、現在につなぐ役割はもちろんのこと、 不幸な生い立ちを背負った無力な主人公に、心を寄せて泣いてあげる・・。 つまり見ている私たちの心を体現してくれる、そういう存在になっています。 そして、自殺してしまった、亮司のお母さん・・・。 原作ではね、この人がずーっと黙ってたことをふっとしゃべったので 笹垣が真実に思い当たるんですよね・・・。 しょうもない亭主を、しょうもない殺され方で失って、子供も去っていって、 それでも生きなければならなかった、死んだように生きている女。 こうやって遺書を残して自殺した方が、彼女は楽だったかもしれません。 小説では、この母親が黙っていた「真実」は、 実在した希代の連続幼女殺人事件に絡めて告白されます。 そこから、一気にラストに向かう展開は、鳥肌がたつようでしたが、 さすがにドラマではそういう展開にはならなかったですね。 どうですか、原作読みたくなったでしょ(笑) 私なんか、もう読んじゃって読んじゃって ご覧の通り、ボロボロです・・・。 正直、オタクの領域かも いよいよ、次週はラストですね・・・。 どういう結末を迎えるんでしょう??? このままだと、真実に手が届くきっかけは、原作と同じかもしれません。 レイバンが何度も強調されてたしね、そういえば。 笹垣は、1話を見た限りでは、殺されてなかった・・・よね? うーん、それにしても、脚本家って素晴らしいお仕事! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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