吉野ヶ里遺跡 北内郭
北内郭に向かいます。木で作られた囲いがびっしりで、南内郭よりしっかり守られているという印象でした。木の囲いも真っ直ぐではなく、迷路のように曲がっていて、簡単に攻められないようにという工夫なのでしょう。そこを抜けると・・・。この北内郭は、吉野ヶ里集落だけでなく、吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって、最も重要な場所であったと考えられているそうです。田植えや稲刈りの日取りを決めたり、季節ごとのお祭りの日を決めたり、また大きな「市」を開く日取りを決めるなど、吉野ヶ里を中心とするクニ全体の重要な物事についての儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行われていた場所と考えられていて、当時は、重要な物事が話し合いでは決まらない時には、最高司祭者(祖先・神の声を聞くことができる特殊な能力を持った人)に祖先の声を聞いてもらい、その声に従って決定していったと考えられているそうです。こちらが主祭殿。中に入ることもできました。主祭殿の2階では吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラムラの長が集まっています。そして主祭殿3階。祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っています。この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられます。こちらは、主祭殿の祀りの前に身を清めたり、祀りの道具を保管する場所として使われていたと考えられている斎堂。こちらが、最高司祭者の身近に仕えた従者の住居で、唯一竪穴式の住居になっています。こちらは高床住居で、正方形に近い、特殊な形をした高床の建物です。主祭殿の近くに位置していることから、倉庫ではなく、普段は人前に姿を見せなかったと言われる最高司祭者の住まいだったと考えられています。神聖な人が住む場所であることから、1階部分についても網代で囲われ、建物全体が閉鎖的な空間になっていたようです。こちらは、夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にある高床の建物です。太陽の動きを知るための建物で、ここでは季節ごとの祀りが行われていたと考えられている東祭殿。祭りなどが行われるたびに、建てかえられていたのかもしれないと言うことです。北内郭から、次は北墳丘墓へ向かいます。