テーマ:スピリチュアル道(400)
カテゴリ:あなたへのメッセージ
4日前、それは突然、嵐のようにやってきた 一方的な言いがかり、決め付け、理不尽な怒り・・・ 「へ」 ・・・さっぱり(怒りの)意味がわかりません。 なのに、相手は大激怒。 そして、「いくら何でも、そこまで言ったらだめでしょう。」ということまで言ってきた。 それにはすっかり、私も傷ついた。
どうして突然こんなことが降ってきたのかなぁ~・・・ それに焦点を当てたからか、それとも、あれが予兆だったのか・・・・・。 先日自分が書いた記事を思い出す。ゆるすということ・・・。 それに間違いはないけれど、渦中にいると、 口で言うほど簡単なことじゃないよ~、RINKOさん。
・・・ということで、この4日間の『ゆるすということ』への取り組みを記すことにします。
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1日目 まさに、晴天の霹靂。寝耳に水。 いったいなんなのよぉぉぉぉ・・・ なぜそこまで怒っているのか、 わからないまでも、「誤解を解かなくては!」ととっさに思い、 相手に働きかけるが、相手は怒り心頭・聞く耳も持たない。 相手のあまりの怒りに圧倒され、 一生懸命言い訳をして、なんとか取り繕わなくては・・・という 自分が悪いことをしたかのような気持ちになる。 何となく、相手の怒りを静めるために、真意ではないことも言ったような・・・ とりあえず、相手も「自分の誤解だったかも知れない」と思ったようで 不承不承謝っていた。
ここで解決はしない。 相手の誤解が解けたら、急に怒りが襲ってきた。 だって、こちらに非はない。 誤解なのに一方的にあれほどまでに怒るなんて、ひどすぎる 「これは、ゆるしのレッスン」・・・ 頭の片隅ではわかっていても、どうにもこうにも怒りが収まらない。 一生懸命取り繕った分だけ、悔しい思いが募ってくる。 ゆるせない。 もう、自分の感情で手一杯。 相手に対する攻撃心でいっぱい。
とりあえず自分をヒーリング。 みぞおち辺りからハートチャクラまでが、すごく痛んでいるのがわかる。 怒りが静まりますように・・・。 それから、瞑想。 こんなぐちゃぐちゃな気持ちから離れるために。 何も考えない、思わないところに避難する。 すると、ほんの少しやすらかな気持ちを取り戻すことができたので、 そのまま寝ることにする
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2日目 朝からそのことを考えるといやな気分。 相手からは何もなかったのように普通の連絡が入ったけれど、 私はとてもそんな気にはなれない。 「そっちは、私からの働きかけで誤解も解けて気分はすっきりしたかもしれないけど、 こっちは怒ってるんだよ ちゃんと謝るなり、何なり、私がしたのと同じように 私の気持ちが済むようにしてよ」 ・・・という気持ちが浮かんでは、これは間違いだとすぐわかる。 ほんとのところは、相手じゃなくて、自分。 相手に自分の気持ちを満たしてもらおうというのは、間違っている。 たとえ、数回はそうしたことができたとしても、ずっと、一生そうすることは無理。 自分の気持ちは、自分で満たすしかない。
ゆるすこと。 それしかないとわかってる。
「あ~~~、真理がわかるって、損 わからない人は何もしなくていい(何もしない)けど、 わかった方は、みんなしなきゃならない。 私だけが自分の怒りと向き合って、私だけが自分で何とかしなきゃならなくて、 私だけが、私だけが・・・・・。
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気分を整えるため、ヨーガのレッスンに行く。 いつもよりも、よりゆったりとしたアーサナ。 低く静かな音楽が流れる道場の中で、ゆったりと身体をくつろがせて、 先生のいろいろな話を聞くのが好きだ。 この一瞬一瞬が、とてもありがたくて、大切なひとときに感じる。 心も身体も解放されてゆく・・・
この日のお話は、先生の師である佐保田先生がよくおっしゃっていたという、 『0(ゼロ)人称の私』。 ヨーガをするということは、0人称の私になること。 1人称の「私」から離れて、0人称の私になる。
日頃、私たちは、とかく自分のことだけに囚われがちになる。 頭の中は自分のことでいっぱい。 あの人のせいだ、あの人が悪い、あの人さえいなければ・・・ 誰かが認めてくれない、与えてくれない、自分ばかりが損している・・・ 自分、自分、自分・・・ >先生、それ、今朝の私です
頭で考えているうちは、どうにもならない。 だから、ヨーガ(瞑想)をする。 自分、という見方を捨てる。 ヨーガをして、からっぽの自分になる。 自分というものをいったんなくす。 すると、大いなるものとつながり、智慧が与えられる。 大いなるものとつながることができたとき、 今、自分が与えられているものへの感謝しか浮かんでこない。
ほんとにそうだな~ そのとおりだな~ ヨーガをしながら、今、こうしていられることや、 相手にしてもらった数々のことが頭に浮かんできて、 感謝の気持ちでいっぱいになる。
それと同時に伝えられた、道元禅師のことば。
ほんとにそうだな~ 自分を忘れることだな~・・・ ちゃんと必要なことばを聴くことになっている。 そういえば先日、「天皇論を貸して」と頼んだ人が貸してくれた本の中には、 なぜか道元禅師の本も入っていた。 不思議。
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改めて、ゆるすということに取り組む。 相手への怒りはやっぱり沸々と浮かんでくるが、 相手ではなく、自分。
自分は、どうしたいのか。 確執を残したままでいたいのか、すっきりしたいのか。 ゆるしたいのか、ゆるしたくないのか。
自分がどうしたいのかを考えているのに 知らず知らずのうちに相手の分析を始め―なぜ相手はこんなことをしたのか― やがて相手を責める気持ちへとすり替わっていく・・・。 ヨーガをしたときは、あんなにすぅ~っとした気持ちになれていたのに。 一日のうちで何度も揺れる心。
まだまだ怒っている。傷ついている。 癒すために呼吸を使ったイメージワークをする。 みぞおちの、相手によって刺激されたと思われるエネルギーを ハートまで持ち上げて、ふわっと外に吐き出す。 何度も何度も繰り返すうちに少しラクになる。
『ゆるすということ』を読もうと思ったが、見つからない。 >たぶん、読みたくないから見つけられない。(汗) 「見つからないってことは、ひょっとしてゆるさなくてもいいってことかも・・」 なわけないだろーが 「今日は、もういいんじゃない?」という エゴの声に負けそうになりつつも、 『生命の贈り物』を読む。 読みながらも、ゆるしたくない、ゆるしたくない・・という思いが頭の中をぐるぐるする。 だって、あまりにひどい、ひどすぎる・・・
そんな思いを浄化するように読み続ける。 涙が流れた。
自分の感情的には、もうどうにもならない。 「私」には、できない。 だからあとは、ゆるせるように祈るだけ。 ゆるす力を「私」に与えてくださいと、神さまに祈るだけ。 祈ることのできる自分の内なる光に頼るー。
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夜は、ヨーガの自分の受け持ちレッスン。 またまたヨーガのおかげで心に平安なひとときが訪れる。 家に帰ってからは、そのままのやすらかさを保ったまま、 何も考えないようにしてすぐ寝る
<つづく>
ヨーガに感謝 ∞ 智慧に感謝 ありがとうございます。しあわせ♪♪
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