テーマ:スピリチュアル道(400)
カテゴリ:あなたへのメッセージ
こんばんは。久しぶりの真夜中の更新です。 ラジオの深夜放送みたいにとりとめもないお話をしましょうか。 近況ですが、断捨離が進んでいます。 それにほとんどの時間を費やしています。 断捨離だけじゃなくて、整理整頓もして、掃除もして、部屋を整えて。
リビングは、だいぶ整って、部屋にいるのが気持ちいい~ 古いカーテンも捨てて、新しくかけかえ、ホットカーペットも敷きました。 ずっと前から気になっていた形のラックも購入。 テーブルの上には、いつも何も置いていなくてスッキリ もちろん、床にも何もありません。
やっぱり、断捨離をして気づくことは多いです。 家が好きじゃなかったこともあるけれど、 いかに自分に適当なものを与えてきたことか。 不快を我慢させてきたことか。 ないがしろにしてきたことか。
内面の成長と磨き上げた心と、乱雑で汚い環境が一致していないことに気づき、 やっと、「この環境は自分にふさわしくない」と思うようになりました。 そして、自分にふさわしい場作りをしたいと思うようになりました。
モノを溜め込んだり、モノでいっぱいの乱雑な場所にいるということの心理的な意味は、
何かから、自分を守りたい。 さびしい気持ちもあるし、外部に対して、恐れや不安がいっぱいの現れなのだ。
けれど、もう私は、知っている。 何もこわいものなんかないということを。 何かから、自分を守る必要なんてないということを。 だから、それを体現していこうと決めた。
モノを片付け、手放していくことは、 「私は、愛である」ということの、宇宙への表明
☆☆☆
どんどんと片付けていくと、見えてきたものがあります。
今年に入って、近くにいた人の中に見る「けち」が、 とてもとてもとても気になっていました。 もちろん、人に見るものは、「自分」。 自分の中にそれがあるから、見える、気になる。 その人は、究極のけちで(笑)、目先の損得にばかり気を取られ、 長期的に物事を見ることが出来ない様子。
そして、けちは、伝播するのです。(^_^;) (伝播というか、自分の中にそれがあるから、共鳴?) どんなふうにかというと、何をするにつけ、少しでも多く出したくないという態度。 そういう態度に出られると、こっちも急にけちになって、出したくなくなるのです。
何度かそういう状況に陥り、「これって、一体、何?」 「この人は、私の何を映し出しているの???」と考えました。何度も。
頭では、答えはわかっています。 「私がけちだから。」「私の貧しさを映し出している。」と。 だけど、いくらなんでもここまでひどくない、とも思っていました。
しかし。 断捨離をして、気づいてしまいました。 私がものすごいけちであったことに。(^_^;)
家の中が快適になってくると、不快なものが目につきやすくなります。 それは、切れなくなった包丁、こげつきやすくなったテフロン加工のフライパン、 茶色くなったやかん、などなどなど。 そんなものは買い換えてもいくらでもないもの。 なのにそれにお金を使うことができなかった・・・ たぶん使うたびに私はちっちゃな不快を味わっていたはずなのです。 なのにそれを無視していた。 家の中にあるものは、「快適さ」よりも、「安さ」重視。 本当に欲しいもの、気に入ったものではない。
お金がないわけじゃないんです。 自分の好きな分野のものには、お金は簡単に流せます。 それに、節約でもない。 飲み食いなどの無駄使いは、平気でしていたから。 モノを大切にしているからでもない。 結構適当に扱っていたから。
結局、日々の生活にまったく重きを置いていなかったということかな。 「適当でいい。」 そう思っていた。
な~んか、貧しかったな・・・ 心を磨いても、貧しさがあったな・・・
環境は、いつでもそのメッセージを無言で発している。 汚くしていれば、「お前はダメだ、ダメな奴だ」 適当にしていれば、「お前はこの程度の者。これがふさわしい程度の者。」 と。 環境を使っての自分いじめのようなものだね。
今は、もう、自分にふさわしいものしか置きたくないし、買いたくない。 自分にふさわしいものしか、自分に与えたくないと思ってる。 ごめんね、私。
☆☆☆
家が片付いてきて、「ガラクタ捨てればー」の本もラクに読めるようになりました。 その中で響いたこと。
を話そうと思ったのだけれど、そろそろ眠くなってきました。 続きはまた今度ね。 おやすみ~
夜に感謝 ∞ 直観に感謝 ありがとうございます。しあわせ♪♪♪
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