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すごい風~ うちが揺れている。
年末年始に帰省できなかったので、3月末から3泊で横須賀に帰ってきました。 持って行った本も読まなかったし、もちろんパソコンはしなかったし、 英語の勉強もしませんでした。 ただただ、3歳の姪と 「た~のし~い」と言いながら、 「今、この瞬間」 を遊んで生きてました。
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さて、「英語」の続きです。 英会話教室に通い始めたところで話が終わってしまっているのですが、 そこから話の展開があるわけではなく、(笑) それはそれで、まぁ、ぼちぼちやってます。 私のブログですから、英語の勉強方法について話そうと思っているわけではありません。 英語をきっかけにした気づきや出来事について、いろいろあったので、それについて。
その外国人の彼のことを先に話してしまうと、 またまた疎遠になっていたのですが、去年、数年ぶりに連絡がありました。 実は、彼はとっても人を笑わせるのが上手で、面白い人で、 「絶対、タレントが向いている」と思っていたのです。 人を惹きつける魅力があるし、タレントじゃないにしても 仕事は接客業が向いていると思っていました。 そして当時、ふわっとのメンバーのみんなにも勧めていた、 宝の地図も作ってあげて、そこにはテレビの中に彼の写真を貼って、 プレゼントしてあげたりしてました。 >作り方の説明もできないし。(笑) お笑いブームのときは、オーディションを受けて、 決勝まで行ったりもしたんだけど・・・ デビューには至りませんでした。 しかし、去年のその突然の連絡は、テレビ出演が決まったからでした。
それからずっとテレビに出ています。 >今はまた帰省していてお休みしてますが。
彼は、本能的にスピリチュアルなことを感覚で理解していて、 そういった話がよく通じる人でした。 すごいな~と思うのは、いいと思ったことは習慣にして、ずっと続けること。 数年前に教えてあげた、トイレ素手掃除を なんと今でもず~~~っとしていると言ってました。 それも、家のトイレだけでなく、パブリックのトイレまで。
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外国人との交流は、ほんとに自分の器を広げてくれる 日本人の「あたりまえ」が、まったく通用しないときがある。 それにぶつかったとき、 知らず知らずのうちに持っていた自分の日本人の「価値観」に気づく。 そして、価値観というのは人それぞれであって、それはいらないものだと気づく。 価値観は、そのまま観念と置き換えてもいいだろう。
そして、視野も広がる。 彼を見ていると、その国の人というよりは、「地球人」という感じ。 立ち位置が違う。 チェックするニュースもワールドワイド。 今はわかるが、日本に流れる全国ニュースだけを見ることは、 富山に住む私が富山のローカルニュースを見るだけということと同じ。 世界ではいろんなことが起きているけれど、 直接日本に関係のあることや、世界的に大きなニュースしか耳には入ってこない。 それがいいとか悪いとかではなく、 日本という小さな国のその中で、はっきりとした認識なしに、 そこだけが「世界」として日々暮らしていた自分に気づいたー。
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それから、これは去年気づいてしまったのだけれど、 私は英語においては、まったく言霊に注意を払っていなかったー。
初めの頃、彼との会話の中で、 「Yes or No?」 と何度も聞かれたり、 いつも「I think・・・」 と自分の考えを話していたら、 「Eikoはいつも思う、思う、ばかりでしょ?」と言われたこともあって、 自分の中で、 「英語では、言いたいことをストレートに言い切りの形でいうことがいいことだ。」 みたいなのが出来上がっていて、喜怒哀楽をはっきり出し、 思ったことを歯に衣着せずに言い放っていたのでした。
日本語だったら絶対に言わないようなこと、思いもしないようなことー。 容赦ないツッコミ。>こわいよー
気づいてからは、日本語と同じように、 同じことを思うにしても言うにしても、 どこに焦点を向けているか、望むことは何なのかをちゃんと見極めて、 やさしい言葉づかいに気を配るようになりましたが。(^_^;)
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言霊には注意を払っていなかったものの、 へ~んなところには注意を払ってしまうことにも気づきました。 例えば、need。 「特に必要なものは何もない」、と思っている私にとっては、 I need ~という言い方にとても違和感を感じ、 たぶんそれを使ったことは一度もなかったと思う・・・。 >ただの言い方なんだけど。(^_^;) あとは・・・ should。 これも、「するべきことは何もない」、と思っているからね、(^_^;) なかなか使うことはなかったな。 言われると、「う~ん・・・」と思ったし。 勉強するには、ちょっとやっかいだね。(笑)
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英語の話は、これでおしまい。
英語の勉強については・・・ 面白い話に書いたような、「外国語を聞いているのに日本語で意味がわかる」的な テレパシーで通じるような状況になったら 英語に限らず外国語全部の勉強も必要なくなるんだけどね。(笑)
そして、さらにそこを掘り下げて自分を見つめれてみれば、 クリシュナムルティの言う、「(自分ではない)何者かになりたがっている自分」を感じたり、 自我以外の何ものでもないことを感じたりもするんだけどね。
やってるうちにさらに見えるものもあるかもしれないね。 なので、あるがままに。^^
気づきに感謝 ∞ 言葉に感謝 ありがとうございます。しあわせ♪♪♪
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