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スピリチュアルカウンセラー 詩音の日々(2003年11月開設)

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2016.06.14
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カテゴリ:ひとりごと
文章を書くのはあまり得意ではないのだけど、

時々、書きたい欲求がおきる。

まあ、自分が書いている訳ではなく、

自分の体を使って誰かが書いているような気もするので、

UPするかどうかは別として、気持ちに従ってとりあえず書く。



書く、というけど、今や肉筆で紙に書くわけではない。

キーボードをたたくことによって、文字が表示され変換される。

こんな不思議な機械を、昔の人は想像もしなかっただろう。



書くに際しては、特に今日は、これが書きたいという目的がある訳ではなく、

思いついたことをただ文字にしている。

独り言みたいにただ文字を連ねている。


自分には、特に目的はないけど、

自分がこうしているというのは、天には何か意図するものがあるのだろう。

私にはあずかり知らぬこと。



最近、よく考えることと言えば

「根拠のない安心感」について



私は、今現在は何か特定の宗教に所属している訳ではないが、

お正月には神社に初詣でに行くし、

両親のそれぞれの家に仏教形式のお墓があり、

両家とも別々のお寺の檀家になっている。

ごく一般的な日本の宗教観をもち、儀式習慣に従っている。



でも、私が内に秘めている「根拠のない安心感」は

あまり一般的には見られないようだ。


私は神は絶対的な善であり愛だと信じていて、運命に抵抗しない方針で生きている。

その結果に得られているのは、もちろんお金でも社会的信頼でもない。

唯一得られているのは「安心感」、根拠のない「安心感」。

「平安」という言葉を使うまでには深いレベルまで安心してない気もするが、

日常生活を送る中では、特に支障を感じない程度の、ゆらぐことのない「安心感」



根拠がないというのは、一般的に「安心感」を感じる根拠となるものだと信じられている

お金、衣食住、共に高め癒し励ましあえる家族・友人・その他の人間関係、満足できる仕事

というような外側の条件がたとえ欠乏したとしても自分の安心感が減らないと信じられるいう意味



いや、現実は、私は不安やストレスを感じやすいタイプだし、しばしばイライラしている。

それなのに自分はよっぽどストレスのある状況にさらされなければ、

「安心」で「平和」な気持ちでいられる(と信じている)



このおめでたい気質は意外と珍しいことなのかもしれないと、周囲を見ていて思う。

で、人が「安心」を感じていない状態なのを見て、どうしてなのだろうと常に考える。

それが、結果的にカウンセリングの仕事につながるので、

常に「安心」を感じているのも、人はどうして自分と違うのだろうと考えてしまうのも

カウンセラーという職業をもっている人間の「職業気質」あるいは「職業病」なのかもしれない。



前にも書いたことがあったけど、

私は大学時代、何かの自己紹介に一番欲しいものは何かという項目に

「心の平安」が欲しい

と書いたことをはっきり覚えている。


実際、それ以外のものには、全く興味がなかった。

裏を返せば、それほど心がすさんでいて不安感、焦燥感などにさいなまれていたということなんだろう。

息苦しくて、死んだ方が楽だとずっと思っていた時期は長かった。



人生の唯一の願いが「心の平安」だったので、

何よりもそれを得ることを、人生の最優先事項にして今まで生きてきた。

その結果が、今の自分の状況で、確かに唯一の願いである「平安」は与えられた。

それ以外のものは、与えられる時もあれば全く与えられない時もある。

でも、それ以外のものは、私はそれほど執着がないから手放してもいい。



でも、考えてみると、もしかしたら

心の「平安」というものは、それを第一優先にして、

それ以外のものはすべて得られない、あるいは得られても失うことがあってもいい

という覚悟がないと、キープできないんじゃないかという気もする。

言葉をかえると、「自己放棄」「執着を手放す」「諦めきる」

というようなことかもしれない。


でも、私は相当、変わり者だし、浮いている、人に迷惑も心配もかけているだろう。

私のような生き方を、人に勧める気もない。

ただ、正直なありのままの自分の姿を批判覚悟でこうして人にさらすというのは、

すべきこと、したほうがいいこと、せめてもの謝罪と罪滅ぼしのつもりで

そうしたいと思ってる。



かっこいい言葉を使えば「恩返し」だけど、

歳を重ね、人を傷つける罪を重ねてきた今の私には「罪滅ぼし」という言葉の方がしっくりくる。





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最終更新日  2016.06.15 03:10:54
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