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スピリチュアルカウンセラー 詩音の日々(2003年11月開設)

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2016.06.18
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先日のパストラルケアの研修会で講義をしてくださったキッペス先生(司祭)

「私たちが心を開いて行こうとするならば、それは日々闘いです。」

私は19の時にカトリックの司祭になろうと決心し、今に至っていますが、

それでも色んなことが怖いし、心が乱れるし、心の中では常に闘っています。

人は闘わないとだめなのです。そうでないと心を開いていけません。


と繰り返しおっしゃっていました。


隣にいたり、目の合った人に誰でも微笑んで挨拶できるでしょうか?

小さな子供は心がまだ閉じていないので、簡単にできます。

犬もできる。だけど人間の大人はまず出来ない。お互いに疑いがある。

私たちは心を開いて相手を受け入れる状態になっていかなければならない。

それはとりもなおさず、自分で自分を受け入れることでもある。


そうしないと・・・・・


それはスピリチュアルな痛みが生じ、

スピリチュアルな痛みは、すべての内面の痛みの根源

私たちが互いに信じ、愛し、助け合うことが出来なくなってしまう。

そしてこの世は人間にとって地獄になる


というようなお話しでした。


何か特別な、明らかな悪いこと、嘘をつくことや

裏切りや意地悪やいじめなどを

しないように闘うということではなく、

ほんのちょっと心をオープンにしてゆくこと、

人を受け入れ、自分を受け入れるということ

それ自体が闘いなのだという発想はとても新鮮でした。


でも、自分で心の中に観察してみると

確かにそうです。

闘う余地は色々あります。

今まで闘わずに無視していました。ワオ!

そういうことに気がつけて感謝です。






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最終更新日  2016.06.19 01:59:35



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