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カテゴリ:書き散らかし
独り言のようなブログで申し訳ないけど、 ん? 誰に申し訳ないんだ???(苦笑) どこから来る、罪悪感なんだろ? そういえば、私は「自分はカウンセラーとしての立場があるから、人に役立つような内容な文章を書かなければいけない」 という勝手に思い込んだ制約を自分でつくってるんですよね。 「これって人の役に立つ文章だろうか???」 なんていうプレッシャーから、ブログの文章が書けなくなってしまうことがよくありました(苦笑) もともと、このブログ自体、「スピリチュアルカウンセラー 詩音の日々」なんていう名前つけて 自分のカウンセラーとしての仕事のために始めたものなので、仕事に関わることしか書きにくかったんです。 しかも、ここには2003年11月からの文章が残っています。そう、17年前からの日記。自分でも驚いた!(笑) 過去は真面目に、スピリチュアルなことばかり書いてました。 また、そういうことにとっても興味があったからね。 ウンウンウン・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブログが書きにくかったという話の続きでもうひとつ思い当たることがあるのですが、 私は、もともと気質的に、完全に『哲学者』なので、物事を見る観点が、とても特殊なんです。 実際、私は大学で文学部の哲学科専攻でした。人間の意識(内面)についてとても興味がありました。 スピリチュアルなことに目覚めたのはそのずーーーーとあとで大学卒業してからです。 私の独断的見解ですが、一般人は自分の意見や感情に興味がありますが、哲学者は常に「何故?」と問うことに興味があります。 こんな感じ 一般人A 「今日はいい天気ですね、空が青くて気持ちいい」 哲学者B 「青いですね。空は何故、私たちの目に青く見えるのでしょうか?」 一般人A 「青は青ですよ。神様がそうつくったんじゃないですか?」 哲学者B 「神様が? なるほど、ではそう仮定したとして、神はなぜ青という色を選んだのでしょう?他の色ではなく?」 一般人A 「青は神様が好きな色なんじゃないですか? 私も青空が好きですよ」 哲学者B 「神様には色に好き嫌いがある? それでは、神に好かれる人と嫌われる人も存在してしまうのだろうか? 歴史上私たちはそう考えて悲劇的なことを起こしてきたが、それは神には好き嫌いがあるという考えから派生したものだろうか?」 あああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー もう収集つきませんが、私がブログを書き始めると、 一般人Aの立場で分かりやすく書こうとする人格と、 哲学者Bの立場ですべてに疑問をもち探求、考察しようとする人格が 両方口を挟むものだから、結局、話の次元が違いすぎて、一貫性のない支離滅裂な話になってしまうんです。 ギャーーーーーーーー 最終的に、一般人Aの人格が疲れ切って、もうあきらめて文章をまとめるのをやめて、全て書いた文章を削除し、アップしないまま、コンピューターをシャットダウンする。 そして、またブログを書こうとしたのに、仕上げられなかった悔しさと罪悪感とあきらめと疲れに打ちのめされる(苦笑) その繰り返し。 これは悲劇でもあり、喜劇でもある? ドヨーーーーーーン で、なんだかそういう支離滅裂さも、人の為に書くなんていう自分勝手な使命感も、どうでもよくなってきた今日このごろ 多分、加齢のせいかもしれない。人生の残り時間も少なくなってきたしね。何でもいいから何か書いておこうかという気になってきた。 なので、書き散らして、それで無責任に筆をおいて、勝手にねることにします。 だって、それしか出来ないんだもの 開き直りの人格C の誕生ですかね。 羞恥心も薄れてきて、自由になってきた「おばさん人格」とも言えますかね。 では、宣言通り、書き散らかしたままここで終わりにします。 おやすみなさい。よい夢を。
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最終更新日
2020.11.24 22:36:45
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