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カテゴリ:ホワイトバンド→フェアトレード
前回は、ほっとけない世界のまずしさキャンペーンについて懐疑的な意見もあるということを述べました(前回の日記はコチラ)。
今回は、前回に挙げた、ホワイトバンドについて否定的な3つの意見に対して、反論していきたいと思います(私自身キャンペーンの趣旨に賛同しホワイトバンドを購入し、身につけています)。 まず、「ホワイトバンドの費用の1割しか、貧困地域の為に運用されない(NGOの「活動資金」であり純粋な「寄付」ではない)」という意見について。 ほとんどが制作費やキャンペ-ン費用に使われること(詳細はコチラ)については、前回述べたように私も疑問に思っています。コスト削減を含めた価格設定に検討の余地があったのではないかと思います。しかし、「寄付」ではないという意見については、いささか反論したいです。 通常、私達が寄付をする場合、そのほとんどがNGOやNPOを通して行わなければ可能ではありません。NGOやNPOが営利目的ではない組織であっても、団体を運営する以上、資金は必要です。発展途上国への援助を最優先するためにその基盤が脆弱になっては元も子もありませんよね。医師がAIDSや肝炎の患者さんを治療するのに必死になるあまり不用意にも感染してしまうようなものです。それでは援助は先細りになってしまいます。純粋な「寄付」でなかったとしても、有意義に運用してもらえるのであればいいのではないでしょうか? 次に、「300円寄付した方が為になるから、ホワイトバンドは無意味」とする意見。1985年に「LIVE AID」というアフリカ地域の貧困を救うために行われた大規模なイベントで、日本円にして280億円という莫大な寄付が集められたにもかかわらず、そのお金は発展途上国の先進国に対する債務返済のたった1週間分に過ぎなかったという事実があります(詳細はコチラ)。寄付だけでは焼け石に水なのです。この状況を改善するために、国際世論を喚起するべく「お金ではなく意思表示を」という趣旨で今回のムーブメントが起こっているわけです。ですから、今回のキャンペーンの結果、状況がどう変化するかは分かりませんので一概には言えませんが、「300円を寄付する方がマシ」とは軽率にはいえないと思います。 そして、「富裕層や先進国に暮らす人間がこのような行動を資するのは偽善に過ぎない」という意見ですが、それは、贅沢な暮らしをしている限り、貧困地域への援助をする資格はないという意味なんでしょうか? もし、そのような意味であるのなら、それはナンセンスでしょう。 なぜなら、私達がすべての文明の利器を放棄し、電気もガスも水道もない暮らしを始めたところで、貧しい人々の暮らしは楽にならないからです。 ですから、確かに偽善かもしれませんが、ホワイトバンドは「300円で手に入れる偽善の象徴、免罪符」ではなく、「豊かな暮らしの一方で3秒に1人死んでいく人々がいる現実を自覚させる十字架」だと思うようにしています。キザな言い方かもしれませんけど。。。 っていうか、普段何気なく暮らしている自分にこのようなことを考える機会ができたというだけでも今回のキャンペーンは意味があったと捉えています。 ただ、これで終わりではダメだと思うんです。今回のムーブメント後の次の行動が重要になってきますよね。 でも、私は、お金も地位も名誉もない一般市民に過ぎません。 そんな自分自身にできることって何なのでしょう? この課題について、ちょっとしたアイデアを思いついたので、それは、また次の機会に。。。
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